特別館長の言葉
2018年12月20日 館長の言葉17
前橋文学館は、言葉の育種家。人の心に響く美しい言葉の薔薇を育てたい。
2018年10月27日 アフォリズムと現在の私
言葉と実態の空白を少しでも縮めようとする作業。それがアフォリズムだ。
残念ながら、どんな言葉を注ぎ込んでも埋め立て地は完成しない。「人生」という表題で作ってみるとよく分かる。
「人生」
「悩むには長く、楽しむには短い」
「人生」
「出逢って、恋して、別れて、死ぬ」
「人生」
「意味という病との闘病生活」
「人生」
「終着駅は見えている。だけどみんな途中下車する」
「人生」
「出来ることならいい役を演じたい。だけどいい役は与えられない。何故なら演技が下手だから」
作っても作っても少し言い足りない。ピタッと決まらず不完全さが解消されない。
だから、また新たな埋め合わせ行為を始めてしまう。着地の見えない繰り返し。「シーシュポスの神話」である。言葉という神の怒りは恐ろしい。
もしかすると、現存するアフォリズムはすべて一時休憩所で仮眠をとっている状態なのかも知れない。取り敢えず今はこんな感じ。明日になるとまた別の文字列が仮眠所にいる。
萩原朔太郎と芥川龍之介のアフォリズムも、当然みんな一時休憩のものだろう。書いた時点での表現だ。「去りゆく一切は現在」なのだ。
だから、何年に書かれたものかを知ると、その後の変容に作家の思考が浮き上がってくる。展示のアフォリズムを読んだ人が、その後の変化を考慮して作り変えると面白いのではないだろうか。作り直すことで、原文のアフォリズムが違った色合いを帯びてくる。
本展示のように、二人のアフォリズムが並列していると、どうしても共通点あるいは差異を見出してしまうに違いない。朔太郎は、感覚から自由を獲得して創作に入り、理知に着地した。龍之介は、理知から自由を獲得して創作に入り、感覚に着地した。わたしは勝手にそんな印象を持っている。朔太郎の言う「詩人風の作家」と龍之介の「世故に通じた詩人」。この二つにある共通点と差異。この近親憎悪のようなニュアンスの相違が面白さを生むのである。
ともあれ、アフォリズムは読み手の現在を照射してくるところがスリリングだ。
読んで何にも感じなかったならば、それは自分の現在とアフォリズムとが共犯関係のように共振しなかったのだ。それだけのことである。数年前の自分と今の自分は違う。現在の自分と五年後の自分は別人だ。五年後に同じアフォリズムと出逢った時は共感する、あるいは反発するかもしれない。「人生」とはそんな変容する自分との出会いの場である。
(【この二人はあやしい】2F「芥川龍之介と萩原朔太郎-アフォリズムにみる5つのターム-」ごあいさつ)
2018年06月15日 館長の言葉16
「言葉は存在の住居」だとしたら、図書館、文学館は住居を支える大地である。
2018年06月15日 館長の言葉15
人類が発明した最良のものは言葉と映像。
その二つと戯れる場所が前橋文学館。
2018年06月15日 館長の言葉14
前橋文学館は、文字が書かれた紙をガラスケースに入れて展示するだけではなく、声によって空気を震わせ、鼓膜を震わせ、心を震わせることも展示だと考えている。「黙読は意味が伝わる。音読は魂が伝わる。」のだ。
2018年06月15日 館長の言葉13
勇気と夢を後押しする赤城山
鍛錬を与えてくれる空っ風
思い出を呼び覚ます広瀬川
人生と並走する文学館
2018年06月15日 館長の言葉12
「ピクルスはキュウリには戻らない」 そのことを、前橋文学館は子供たちに伝える義務がある。
2018年06月15日 館長の言葉11
面白いから入館者が増えたのではない。
入館者が増えたから、面白いのである。
2018年06月15日 館長の言葉10
歌うことと話すこと、描くことと書くことは、一体いつから別れてしまったのだろう。前橋文学館が、この離れ離れになったものを、引き合わせる場所でありたいと思う。
2018年04月14日 【春は文学館で きゅん。 】3F「寺山修司のラブレター」ごあいさつ
人が、詩や短歌や俳句などの文字列表現をはじめる切っ掛けはなんなのだろう。大切な人との別れや決定的な体験など、心を大きく揺り動かされた時、なにかに押されるように書き始めるのではないだろうか。
そうした体験のひとつに恋愛があるだろう。万葉集の相聞歌の多さをみればよく分かる。表現の始発駅は恋なのだ。
ラブレターは、相聞歌の始まりの始まりのような感じがする。
わたしが寺山さんに出会ったのは、20歳の時だった。寺山さんは30歳。代官山のコンクリート打設のマンションに九條さんと二人で住んでいた。そのマンションが演劇実験室・天井棧敷という劇団の事務所だったのだ。
当時、劇団員は九條さんのことを「奥さん」と呼んでいた。二人が新婚であったことも、わたしは知らなかった。もちろん、やがて二人は離婚して、寺山さんがマンションを出ることになろうとは想像すらしなかった。
寺山さんが出て行く時、荷物は劇団員が手伝った。わたしが洋服タンスの扉を開けると、扉の裏側に、九條さんの写真が張り付けてあった。わたしは、見ないふりをして、中の背広をハンガーから引きはがしてダンボールに押し込んだ。あの写真はどうしただろう。今でもその時の写真は思い出す。
この二人のラブレターのことは、話しに聞いたことがあり知ってはいた。九條さんが
「寺山が、自分の手紙をとっとけって言ってたのよ」
自分の手紙が後に価値が出るなどと普通は思わない。寺山さんは明らかに自分が後世に名を残すと思っていたのだから凄い。
だから、このラブレターは、やがて人目にふれることを想定して書かれたものなのである。そうしてみると、これは個人的なラブレターでありながら、個人を超えた表現なのかも知れない。