特別館長の言葉
2026年06月13日 【萩原朔太郎生誕140年記念展「ふらふらふらぬ~る 朔太郎の危険な散歩】
手段か目的か。
同じ歩くにしても、目指す場所がある場合と、ぶらぶらとでは別種の行為だ。
散歩は歩く事が手段ではなく目的だ。散文は言葉が手段。詩は言葉が目的。それと類似している。
だからというわけではないけれど、詩人に散歩はよく似合う。
朔太郎の散歩には垂直性と水平性が混在している。歩いているうちに突然閃きが降りてくる。表現する者なら誰でも一度は経験する、あの創造神降臨の瞬間だ。馬上、枕上、厠上という三上のひらめきの中に、道上がないのはおかしい。(笑)
水平性は、場所との出会いだ。変わらない光景との出会いは、変わり続ける自分との出会いである。「人は手によって書くにあらず、よく書こうと思うなら、足によっても書かねばならない。足は優れた、おそらく最も確かな証人である」と言ったのはニーチェだ。水平移動の散歩は、足による執筆行為なのだ。道は原稿用紙なのである。
朔太郎の散歩コースの中に遊園地がある。遊園地の乗り物は、みんな回転する運動だ。散歩も、家から出発して家に戻る回転運動だから、立ち寄りたい気持ちはよくわかる。
ただし、毎日のルーティンの散歩は、回転運動のように見えて、実は螺旋運動だ。ゆっくりと次元が変わり続ける。その変容する散歩の実相を探るのが、この企画展である。お帰りの際に、ゆっくりと散歩しながら帰宅して光景を楽しんでもらえれば嬉しい。きっと、新鮮な街との出会いがあると思うのです。
2026年03月21日 【悪筆。文字書体をなさず。冷汗冷汗。-萩原朔太郎と文字展】ごあいさつ
解読係りという編集者が、各出版社には居る。などという都市伝説のような話を聞いた事がある。
悪筆な小説家の原稿は、普通の人には全く読む事が出来ない。そこで担当編集者が悪筆の癖を理解し、解読する必要があったのだ。プロの解読者とは古文書の学者のようですごい。
私が聞いた難解悪筆家の筆頭は、石原慎太郎だった。雑誌に載っていた肉筆原稿を見た事があったけれど、確かに読むのが難しかった。あと大江健三郎も読みづらいと編集者が言っていた。私の母親も読みづらい文字だった。原稿はまだしも、手紙が細かい文字で読むのにひと苦労だった。もっとも、私の手紙は字が下手で読みにくいから、もっと丁寧に書きなさいと母親によく言われたけれど。
まあ、よくいえば悪筆とは個性のことでもあるから、作家の手書き原稿の解読の作業は、そんなに担当編集者にとって苦行では無いかもしれない。
朔太郎の手書き文字も読みやすいとは言いがたい。若い時の丸文字から晩年の鋭角的な文字への変化は、そのまま内容の変容を表しているようである。その意味では、内容が文字を変化させたのか、文字の変化が内容を規制したのかを考えると面白い。手書き文字のデザインはもう一つの意味を文字に纏わせているのだ。そのもう一つの意味を考える楽しさは、印刷文字では味わうことが出来ない。そう考えると、多くの人がパソコンでの執筆になってしまったので、今は文字から個性は失われてしまった。
以前、飛行機の事故で亡くなった乗客が家族に残した走り書きを見た事がある。その文字のかたちを見ただけで、胸が締め付けられた。引っ掻き傷のような文字。のたうち回るような文字。消えそうな文字。メッセージ以上にその筆跡が全てをあらわしていて泣けてしまった。手書きは、印刷文字よりもはるかに人の心を揺り動かす手段なのである。
本展の、詩人の手書き文字の変化に着目して、形式と内容、筆跡と意味、グーテンベルクの功罪、筆、ペン、鉛筆等の道具とデザインについてなど、さまざまな切り口で楽しんで頂けたら幸いです。
2025年06月28日 【『猫町』を包む展】ごあいさつ
解釈を楽しむ。
翻訳を楽しむ。
この企画展は、『猫町』という文学を、デザインで解釈した作品。デザインに翻訳した作品。そんな試みを展開したものです。さまざまな解釈や翻訳があって、その個性的な広がりに、きっとワクワクしてしまうことでしょう。
何故心が動くのか。それはデザインが持つ自由な発想の力によるものだと思います。沢山の個性と出会う事で、現実原則から少しだけ飛翔する旅行を楽しんでいただけたら嬉しいです。
2025年06月07日 【第32回萩原朔太郎賞受賞者 最果タヒ展「愛を囁くのは世界の方で、私たちはそれを二人で聞いている。ここで、二人で真珠になろう。」】
隠れていると、〝見つからなければいい〟と思う気持ちと、反対に〝見つかりたい〟という気持ちもどこかにある。子供の頃のかくれんぼ遊びだ。
言葉は待ち伏せしている、と誰だったか詩人が書いていた。詩を読むことは、かくれんぼの鬼になることと感じたことがある。懸命に探さなければ、隠れている言葉は見つからない。
しかし、実は、言葉は探し当ててもらいたがっているのだ。見つけて欲しいと密かに思って、じっと隠れ、息を潜めているのだ。
詩集は、かくれんぼの鬼の為の手引き書みたいな役割があるかも知れない。あるいは詩を読むという行為は、かくれんぼに参加することかも知れない。
最果タヒさんの詩は、読み手が待ち伏せしている言葉を探し当てて、出会った言葉と抱き合い、涙目になり、笑い合い、励まし合う。そんな姿が浮かんでくる作品ばかりだ。
だから、私は最果タヒ詩集は、声に出して読む方がいいと感じている。黙読は理解するのにはいい。音読は人の心を揺り動かすのにいいと、吉増剛造さんは言っている。声に出すことで、聞いている人の心に火をつけ、自分という他人の心をも揺さぶるのだ。
よく、「言葉で表すことが出来ない」などと発言する人がいる。それは散文の世界に住む住人の発想だ。言葉の数よりも心のありようの方が無限だと感じているわけだ。韻文の住人は、言葉の組み合わせによって無限の言語表現が出現することを知っているから、そんな発言はありえない。
だから、人の心の全てが最果タヒ詩集の中にあると言うことだ。それは、言葉の中にしか心はないということでもある。私のお墓は私の言葉であれば充分、と言って亡くなった詩人がいた。韻文家は誰でもそんな想いを抱いているに違いない。その意味では、最果タヒ詩集は全て墓碑かも知れない。
だから、詩人が世間に姿を現さないのは当たり前なのだ。時に読者は、それぞれの最果タヒ像を思い浮かべ、消去し、また想像し削除する。どこにでも居て、どこにも居ない。今回の展示の中にも、居るだろう。そして居ないだろう。その不思議なリアリティを楽しんでいただけたら幸いである。
2025年03月01日 【ロマンティックな飛翔-酒と詩人と人生と-前橋文学館収蔵資料展】ごあいさつ
酒は人を溺れさせるものではない。人を呼び覚ますものだ。翌朝になれば誰でも分かる。
神事に酒が登場することでわかる。正月に、結婚式に、棟上げに、あらゆる場面に祝い言葉と寄り添うことで分かる。
嬉しい時のふるまい酒は、ふるまい言葉を伴うのだ。混じりけのない、新鮮な美味しい新酒の詰まった樽には、新鮮な言葉もまた詰まっているのだ。それが、皆んなにふるまうということだ。
表現にとって酒は親子でも兄弟でもないだろう。恋人、悪友、親友に近いかもしれない。今回の展示は、表現と酒という関係がどのような付き合いであったのかを探る試みだ。
酔うように楽しんでいただければ幸いです。
2025年02月04日 【文学館から、文学環へ】特別館長の言葉34
文学館同士の連携、博物館、図書館、美術館、学校、駅、郵便局、商業施設、本屋、劇場、ホール、商店街、その他、街全体との連携によって「詩のまち」の市是のイメージを拡大させ、文学館が提唱型の姿勢を見せる。
館としての文学館から、繋がりの輪をひろげる文学環へ。
2024年10月05日 【現在(いま)を編集する-月刊「新潮」創刊120周年記念展】ごあいさつ
一冊の雑誌の歴史から、何を感じ、何を学び、何を継承し、変容し、生かすのか。雑誌という生き物の有り様を俯瞰する事で、現在がはっきりと姿を現す。その姿は、きっと文芸というジャンルを遥かに超えた地平を顕在化しているに違いない。その意味では、月刊新潮展は紙媒体の明日を示す重要なイベントになる事だろう。
雑誌という紙媒体の乗り物が、文学館という乗り物に乗り換える。そうする事で新たな情報が生まれる。その窯変した情報を楽しむ事で、新しい表現媒体をイメージしてみる。見る体験の中からそんな動きが生まれたら面白い。展示を楽しんでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
2023年06月10日 【フットノート−吉増剛造による吉増剛造による吉増剛造】ごあいさつ
常に、詩人の優れた感覚、感性は、時代の先端、進む方向性を掴みとっている。一人の詩人の詩業を探索すると、時代の空気とその先を知ることになるのだ。吉増剛造展は、個人の仕事から時代へと流れる激流を目撃する事になるだろう。
吉増剛造さんの事を、私はいつも極北の詩人と勝手に命名している。先端を走り一度も止まらず突き進む。最近の仕事は、ついに冊子本から飛び出して、印刷不可能な、書くというライブを見せるような世界に突入している。 誰も到達しなかった地平に一人佇んでいるのだ。本展は、そんな厳しく優しい詩人の仕事の一端を展示とパフォーマンスにより展開している。展示もライブしているのだ。目撃して楽しんでいただければ幸いである。
2023年03月04日 【世界が魔女の森になるまで ー 第30回萩原朔太郎賞受賞者 川口晴美】ごあいさつ
今年で30年を迎えた萩原朔太郎賞の受賞作が、川口晴美さんの詩集『やがて魔女の森になる』に決まりました。川口晴美さんの14冊目の詩集です。前橋文学館では、今年も受賞を記念して受賞者展を開催します。受賞作品がそれぞれ個性的であるように、文学館も毎回展示方法に工夫を凝らして空間を創作してきました。ある時は、灯台をつくり回転するライトによって詩を浮かび上がらせたり、またある時は、巨大な詩集を設置して、耳を付けると詩人の朗読する声が聞こえるようにしました。
さて、今回はどんな仕掛けにしようかと、スタッフが全員が知恵を出し合いました。川口さんの詩は、フィクションとして作り上げるタイプや、現実の問題を取り上げたもの、シスターフッドをテーマに取り組んだもの、あるいはまるで他人に乗り移ってしまったかのような語り口などさまざまですが、読み進めると明らかにひとつの方向が浮かび上がってくる。それが魔女の森に向かっているのか、言葉の森に向かっているのか。ぜひ、詩集を読み、展示を体験し、それぞれの答えを楽しんでいただけると嬉しいです。
2023年03月04日 【歴代萩原朔太郎賞受賞作展】ごあいさつ
今回の展示は、歴代受賞詩人の皆さんに、前橋文学館に帰って来てもらうことだ。 というのは、萩原朔太郎賞は、受賞者展を毎回前橋文学館で行なってきたからだ。 生家で帰りを待つ親のような気持ちが、この企画展示の底に流れているのだ。
「詩人は詩を読んでもらう事で生き続ける」
と、那珂太郎さんが言っていた。 展示する事で詩を甦らせ、思い出を立ち上がらせ、詩の未来を展望する。
そして、受賞した詩の当時を探り、受賞した詩の現在に想いを馳せる。 さらに、萩原朔太郎賞の歴史は詩の歴史の中でどのような役割りを担ってきたのだろうか。そんなことも感じられたらありがたい。30年という道のりを辿ることで、さまざまなテーマが浮き彫りになる展示になればいいと思っている。
お帰りなさい。
そして、いってらっしゃい。
前橋文学館は、これからもずっと、詩の故郷のような存在であり続けたいと思っている。