特別館長の言葉

2020年09月02日 館長の言葉26

「朔太郎は故郷前橋をどう思っていたんでしょうか」
を質問されて考えた。
詩の中で朔太郎は故郷に対して呪詛や怨みを吐露している。その事実は端的に詩人の内面を表している。父親母親に対して抱く嫌悪に似ている。嫌う程愛しているのだ。本当に芯から嫌いなら、詩中に故郷など出すわけがない。本当に嫌いなら、無視するに決まっている。好きの反対は嫌いじゃない。当たり前の事だけど、好きの反対は無視だ。朔太郎は嫌う程前橋を愛していたのだ。その心情に疑いの余地はない。故郷に出した片思いの手紙。それが朔太郎の郷土望景詩だ。私はそう思うのだ。

2020年08月21日 【夢よ、氷の火ともなれ 佐藤惣之助生誕130年記念展】に寄せて

佐藤惣之助の生の航跡は、左右に揺れ動きながら、しかし、船首は常に南に向いていた。詩や戯曲、作詞や論考などの風を受けて膨らんだ帆が推力を生んで、スピードの衰えない航路だった。

南方は、市井のしがらみなど無い自由と、美しく純な人間が住むイメージ。南を見続けた惣之助は、ビーチカマーを夢見ていたのではなかったか。そんな勝手な想像すら湧いてくる。

船は、蛇行し彷徨するほど、美しい航跡を描くのである。

2020年02月08日 【わたしたちはまだ林檎の中で眠ったことがないー第27回萩原朔太郎賞受賞者 和合亮一展】ごあいさつ

 

降りそそぐ言葉

 

 表現する者は、「何故自分は表現に向かうのか」と自問する。その解答が表現に溶け込んでいる。

 和合亮一さんの詩を読むことは、質問と答えとが入り混じる大海原への刺激的な航海だ。だから、心が揺り動かされるのである。

 また、表現する者は炭鉱のカナリヤであることを自覚している。先頭での祈りと叫び。

 和合亮一さんの詩は、どこに行こうか共に考えようと呼びかけている。だから強く共感するのである。

 今回の、「第27回萩原朔太郎賞受賞者 和合亮一展」は、詩人が体験したあらゆる出来事に表現者としてどう立ち向かったのか、唯一の武器である言葉とどう向き合ったのかを展示のコンセプトにしたものだ。

 詩の発生は、言葉の起源ではなく、他者の発見からではないか。そんな思いも込めて、館内に降りそそぐ和合さんの言葉たちと出逢っていただけたら幸いです。

 そして、和合さんの質問の答えを探す旅に、それぞれがそれぞれの方法で出発することを心から願ってやみません。

 

2020年01月18日 【怖いを愛する—映画監督・清水崇の世界】ごあいさつ

 映画を体験する事は、恐怖を楽しむ事だった。世界初となって歴史にその名を残した、ルイ・リュミエール監督のシネマトグラフは、恐怖体験の幕開けだった。グラン・カフェ地下のインドの間は、1895年12月28日にお化け屋敷と化したのだ。何しろ本物のような列車が客席に突進してくるし、樹々が風になびく様子が凄すぎて、翌日の新聞を賑わす事件になったぐらいなのだ。

 清水崇監督の映画も怖い作品が多い。それは、映画の始まりを再構築し、映画というメディアの本質を表現しているからである。観客は、清水崇映画の恐怖を楽しみ、いつの間か映画を愛する自分を発見するのだ。

 本展は、前橋が生んだ監督の仕事の軌跡を辿りながら、「怖いを愛する」ことと、映画を愛することが同義であることを体験してもらえればと企画したものである。展示空間を異界探訪のように楽しんでいただければ幸いです。

2019年12月27日 館長の言葉25

 文学館の役割は、文学館を無くすことだ。家が文学館、学校が文学館、公園が文学館、役所が文学館になればいいのだ。文字列表現を探究し、人と人、人と社会との関係を豊かにするあらゆる表現を後押しする。街が大きな文学館になればいいのだ。文学館は建物ではない。プロジェクトの名前である。ソーシャルデザイナーの集団。それが、前橋文学館の目指す場所である。

2019年11月02日 ノンブルの不思議

 詩集『死刑宣告』のなかには、いくつかの答えが見つからない事柄がある。

 たとえば、リノカットという手法の抽象版画の作者一覧が、「挿画製作者及目次」として本文中に掲載されている。それを見ていくと、不思議なことがあるのだ。

 まず、その作家のひとり柳川槐人とペータースという人物が同一作品の作者になっている。共作したものか、二人ではなく同一人物なのかがよく分からない。丸と三角四角を組み合わせた単純な図柄で、わざわざ二人で合作したことを強調するような版画作品ではない。二種類の技法を組み合わせたものでもないのだ。なぜ名前が二人になっているのだろうか。

 さらにわからないのは、「挿画製作者及目次」には出てこない挿画がいくつかあるのだ。8、16、139ページの作品だ。目次と照合しても作者名がないのである。一番多い岡田龍夫のものなのか、意図的に無署名にしたのかわからない。

 もひとつ謎なのが、富永亥矩のページが0になっているのだ。もしかして、作者の表記のないものはすべて富永亥矩作品なのだろうか。そう思っていたら、印刷のかすれ具合で0ページではなく、8ページかもしれないと思った。8ページには作品があるからだ。紙とインクと活版との相性によって滲みやかすれが出て、それが味になって雰囲気を醸し出す。判読が難しいのは読む側が判断すればいいとは思う。(156ページのノンブルが無い。再版にはノンブルが入っている。)

 面白いのはノンブルの表記のしかただ。

 扉、「挿画製作者及目次」の後の「序」が(1)ページで(11)ページまで。

 次のページ「詩集例言」がまた(1)ページなのだ。これが(3)ページまでで終わり。さらに、「詩集 死刑宣告 目次 詩八十三篇」から(1)ページになるのだ。それで始まるのではなく、さらに詩が始まる扉「装甲弾機」からまた(1)ページと表記されているのだ。そうして最後の詩「露台より初夏街上を見る」の後に、「詩集『死刑宣告』終り」とあり、(161)ページになっている。

 次のページには岡田龍夫の文章「印刷術の立体的断面」がはじまり、また(1)ページになっているのである。ノンブルが通しではなく、内容別になっているのは何とも不思議な感じがする。一冊の統一した冊子としてではなく、詩集の前後に製作者からのメッセージなどを加えた。とでも言いたげなノンブルである。

 もっとも面白い試みは、本表紙に黄色と赤の透明なテープが貼ってあることだ。どうやったのだろうか。一冊一冊手作業で貼ったのだろうか。透明だから地に印刷された文字を読むことになるのだ。まるでアーティスト・ブックのような、大胆な試みである。

 装幀を担当した画家の岡田龍夫は

「もつと大胆に各種の材料(ボロ布や木材や針金)等を使用して、詩破天荒の怪快光芒にしたかつたのだが」

と書いている。透明テープどころの話ではない。針金が紙の上をのたうちまわり、表紙にぼろ布が貼り付けてあったかもしれないのだ。

 「我々に未だ大量生産的に大廻転をするだけの器物が具はつてゐない為め、これも遺憾ながら中止した」という。全く現代と同じ状況だ。印刷するという作業工程とクリエーションは常に相反する作業である。そのことを詩集は今に至るまでリアルに表しているのだ。実はこれが『死刑宣告』のなかの答えの見つからない一番の面白い事柄かもしれない。活版印刷で今これだけの複雑極まりないアンカット版の冊子本は出来ないだろう。時代とともに進化したようにみえて、実は一九二五年の『死刑宣告』よりも退化してしまった事柄もあるのだ。

 

(「萩原恭次郎生誕120年記念展「何物も無し!進むのみ!」」収載)

2019年08月05日 館長の言葉24

 今、サナギから蝶に変わろうとしている。それが前橋文学館だ。美しい羽根を生やした想像力が、力強いエンジンとなって、裾野に広がる街の上を滑空するのだ。
 ルナパークも、臨江閣も、市役所も、アーツ前橋も、市民文化会館も、コンベンションセンターも、駅も、スーパーも、商店街も、みんな飛びたいと思っている。文学館もずっと飛ぶことを願っていた。変わることは出来る。出来ないと言う思い込みを捨てればいい。「鳥よりも高く飛ぶのは想像力」なのだ。誰もが前橋という名の劇場では、主役を演じることができるのだ。

2019年07月20日 【羽の生えた想像力-阿部智里展 】ごあいさつ

飛ぶ鳥を見て、飛行機を作る人もいる。

飛ぶ鳥を見て、屏風に再現する人もいる。

飛ぶ鳥を見て、五線譜に向かう人もいる。

飛ぶ鳥を見て、背後に広がる大空を想う人もいる。

それが阿部智里さんだ。

彼女が語りだす物語に身を沈めると、大海を遊泳する冒険者になれる。爽快と心地よい不安。読むことの悦楽だ。

今回の展示は、観るというより体験したと感じるものにならないだろうか、を試みたものだ。なにしろ、旧来の文学館展示のように生原稿などがあるわけではないからだ。

どうしたら、作家阿部智里の魅力に迫れるのか。作家の大きく羽ばたく想像力を感じてもらえるのか。

その展示の試行錯誤を一緒に体感してもらえれば望外の喜びである。

「想像力だけが鳥よりも高く飛ぶことが出来る」のである。

2019年06月29日 【榎本了壱「線セーション」展】ごあいさつ

 渦巻き。

 最近の榎本了壱の図像に度々現れるモチーフだ。上昇しているような下降しているような螺旋運動。バベルの塔の螺旋階段は、異界へ向かうための眩惑装置である。榎本了壱のエロス的螺旋も、ここではないどこかへ向かうための装置だ。

 大作は、澁澤龍彦の「高丘親王航海記」だ。ここではないどこかを希求する壮大な旅。この物語と対峙するなかで、彼は渦巻きという表現に出逢った。そう私は勝手に解釈している。

 渦巻きの方角、ここではないどこかは、榎本自身の幼年だ。二科展に入選した十代の榎本了壱に、怒涛のごとく荒れ狂った渦巻きが航海を始める。その出発地点が「高丘親王航海記」だったのだ。

 三浦雅士は、処女作はその後の作品によって成長したり衰退する、と言っている。

 だとすると、榎本了壱は、自身の出発点を成長させたくなったに違いない。始まりの成育は終わりの始まりだ。終わりの始まりは、始まりの終わりでもある。始まりも終わりも消失したボルヘス的砂漠の迷宮。

 榎本了壱の絵画の渦巻きを観ていると、眩暈と浮遊感が襲ってくる。それは迷宮の旅の扉を開けてしまったからなのだ。

2019年04月27日 【詩の未来へ 現代詩手帖の60年 】ごあいさつ

 言葉の発生は生存の欲求からではなく、遊びから生まれた。そう考えた方が自然に思える。家の始まりが雨露をしのぐことで作られたのではないという歴史と同根だ。

 いってみれば、詩から言葉が生まれたのだ。だとすると、詩の雑誌は、言葉の発生から始まる長い旅路の里程標なのかも知れない。

 文学館が扱うのは人間だ。しかし今回は「現代詩手帖」である。雑誌を表現者として捉え、ページという作品群との出逢いを楽しもうという試みである。

 「作者の死」以後、実人生と作品とを切り離して思索する方法が広まった。

 しかし、雑誌という表現者は、むしろ作者と作品を一体化して探索した方が、リアルな実相が浮かび上がる。「現代詩手帖」が発信し続けた六十年間の大量の言葉。それらがどのように社会に浸透し反射し発酵して行ったのか。その運動のダイナミズムを味わっていただければ幸いです。

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