特別館長の言葉

2021年01月13日 館長の言葉29

薔薇の花束を貰った時、人はどんな反応を示すだろうか。
花びらに手を伸ばす人は居ない。花を数える人も居ない。花の名を口にしする人も少ない。
ほとんどの人は、花が発散する芳しさの実相が知りたくなって、すぐに鼻を近づけるだろう。
いつの日か、文学館のイベントが薔薇の花束になれたら素晴らしい。受け取った入館者が、思わず手にした花束に顔を埋める。本数をかぞえるのではなく、花弁の色を愛でるのでもない。深呼吸し、身体の芯に芳しさのすべてを取り込みたくなってしまう美しく個性的な企画展示。
入館者の一人一人に薔薇の花束を手渡すこと。それが、明日の前橋文学館の目標である。

2020年12月27日 館長の言葉28

 前橋文学館と言う電気コタツは、スイッチの「強」しか使わない。
「強]をオンにしても、結果として展示は、予算がない、人手が足りない、アイデアが出ない、で「中」になる事はあり得る。
しかし、初めから「中」を目指すことはあり得ない。
前橋文学館のスイッチには、「中」と「弱」はついていない。

2020年12月05日 館長の言葉27

フロイトは、心に驚いた。
マルクスは物に驚いた。
文学館は言葉に驚く切っ掛けの場になればいい。
言葉に驚く事は自分に驚く事である。

2020年10月10日 【なぜ踊らないの-生誕100年記念 萩原葉子展】ごあいさつ

ごあいさつ―パーティー会場のように

 母、萩原葉子を見送って15年が過ぎた。瞬き2、3回しただけのあっという間の時間だった。84歳で旅立ったから、生きていれば今年100歳ということになる。
 その生誕100年という節目に、生まれ故郷で里程標を建てるかのような「萩原葉子展」が開催されることになった。
 今回の展示は、以前の展示と違い、本人が大量に残したコラージュのような作品をライトアップしている。生前、それらの作品群を一同に展示したことはなかった。
  並べてみると、意外にもユーモア溢れる造形作家の一面が浮かび上がってくる。文章よりもずっと自由で天衣無縫な振る舞いが面白い。私たち親子に何かしら共通する気質があるとしたら、平面作品は文章との対峙とは大きく異なり、伸びやかに無邪気に取り組んでいることではないかと思う。
 生前、一度だけ一冊の本を一緒に書いた。私はあまり乗り気になれない企画だったけれど、何か記念になればと、母親が積極的に進めて実現した。今から考えれば、あの本が母親の遺言のようなものだったのかも知れないと思う。
  いや、この展覧会そのものも、実は母親の遺言の展示なのかもしれない、と思えてくる。
 まあ、私としては、空の彼方で、母親がはにかみながら喜んでいると信じるしかない。生前、葬儀もしのぶ会もやらなくていい、というメモ書きを手渡された。あれだけ人を呼んで自分が踊るパーティーを開くのが好きだったのに、死後はひっそりと人に迷惑をかけず旅立ちたかったのだ。
  だから今回の「萩原葉子展」も、母親が踊りを披露する場所だと思うことにした。
 入館者の皆さまにも、パーティーに参加しているように楽しんでいただけたら幸いです。

2020年10月03日 【私が出会った表現者たちⅣおちゃめなアリス 田村セツコ展】ごあいさつ

 世界を席捲したkawaii文化の源流を探る旅に出る。

 すると、みんな必ず田村セツコという故郷と出逢うことなる。

 そう、田村セツコさんが生み出す表現の全てがキューティズムの源流なのである。

 この度、前橋文学館がそのカワイイ文化のみなもとを展示出来た事をとても嬉しく思う。実はイラストレーションだけがカワイイのではない。生き方のなかにカワイイの本質が潜んでいる。その発見が嬉しさを生んだのである。

 田村さんをはじめたくさんの方にご協力いただきスタッフ一同感謝に絶えません。

 いつまでも変わらない表現者のライフスタイルに、観る人はきっと元気をもらえると思います。

2020年09月02日 館長の言葉26

「朔太郎は故郷前橋をどう思っていたんでしょうか」
を質問されて考えた。
詩の中で朔太郎は故郷に対して呪詛や怨みを吐露している。その事実は端的に詩人の内面を表している。父親母親に対して抱く嫌悪に似ている。嫌う程愛しているのだ。本当に芯から嫌いなら、詩中に故郷など出すわけがない。本当に嫌いなら、無視するに決まっている。好きの反対は嫌いじゃない。当たり前の事だけど、好きの反対は無視だ。朔太郎は嫌う程前橋を愛していたのだ。その心情に疑いの余地はない。故郷に出した片思いの手紙。それが朔太郎の郷土望景詩だ。私はそう思うのだ。

2020年08月21日 【夢よ、氷の火ともなれ 佐藤惣之助生誕130年記念展】に寄せて

佐藤惣之助の生の航跡は、左右に揺れ動きながら、しかし、船首は常に南に向いていた。詩や戯曲、作詞や論考などの風を受けて膨らんだ帆が推力を生んで、スピードの衰えない航路だった。

南方は、市井のしがらみなど無い自由と、美しく純な人間が住むイメージ。南を見続けた惣之助は、ビーチカマーを夢見ていたのではなかったか。そんな勝手な想像すら湧いてくる。

船は、蛇行し彷徨するほど、美しい航跡を描くのである。

2020年02月08日 【わたしたちはまだ林檎の中で眠ったことがないー第27回萩原朔太郎賞受賞者 和合亮一展】ごあいさつ

 

降りそそぐ言葉

 

 表現する者は、「何故自分は表現に向かうのか」と自問する。その解答が表現に溶け込んでいる。

 和合亮一さんの詩を読むことは、質問と答えとが入り混じる大海原への刺激的な航海だ。だから、心が揺り動かされるのである。

 また、表現する者は炭鉱のカナリヤであることを自覚している。先頭での祈りと叫び。

 和合亮一さんの詩は、どこに行こうか共に考えようと呼びかけている。だから強く共感するのである。

 今回の、「第27回萩原朔太郎賞受賞者 和合亮一展」は、詩人が体験したあらゆる出来事に表現者としてどう立ち向かったのか、唯一の武器である言葉とどう向き合ったのかを展示のコンセプトにしたものだ。

 詩の発生は、言葉の起源ではなく、他者の発見からではないか。そんな思いも込めて、館内に降りそそぐ和合さんの言葉たちと出逢っていただけたら幸いです。

 そして、和合さんの質問の答えを探す旅に、それぞれがそれぞれの方法で出発することを心から願ってやみません。

 

2020年01月18日 【怖いを愛する—映画監督・清水崇の世界】ごあいさつ

 映画を体験する事は、恐怖を楽しむ事だった。世界初となって歴史にその名を残した、ルイ・リュミエール監督のシネマトグラフは、恐怖体験の幕開けだった。グラン・カフェ地下のインドの間は、1895年12月28日にお化け屋敷と化したのだ。何しろ本物のような列車が客席に突進してくるし、樹々が風になびく様子が凄すぎて、翌日の新聞を賑わす事件になったぐらいなのだ。

 清水崇監督の映画も怖い作品が多い。それは、映画の始まりを再構築し、映画というメディアの本質を表現しているからである。観客は、清水崇映画の恐怖を楽しみ、いつの間か映画を愛する自分を発見するのだ。

 本展は、前橋が生んだ監督の仕事の軌跡を辿りながら、「怖いを愛する」ことと、映画を愛することが同義であることを体験してもらえればと企画したものである。展示空間を異界探訪のように楽しんでいただければ幸いです。

2019年12月27日 館長の言葉25

 文学館の役割は、文学館を無くすことだ。家が文学館、学校が文学館、公園が文学館、役所が文学館になればいいのだ。文字列表現を探究し、人と人、人と社会との関係を豊かにするあらゆる表現を後押しする。街が大きな文学館になればいいのだ。文学館は建物ではない。プロジェクトの名前である。ソーシャルデザイナーの集団。それが、前橋文学館の目指す場所である。

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