特別館長の言葉

2019年07月20日 【羽の生えた想像力-阿部智里展 】ごあいさつ

飛ぶ鳥を見て、飛行機を作る人もいる。

飛ぶ鳥を見て、屏風に再現する人もいる。

飛ぶ鳥を見て、五線譜に向かう人もいる。

飛ぶ鳥を見て、背後に広がる大空を想う人もいる。

それが阿部智里さんだ。

彼女が語りだす物語に身を沈めると、大海を遊泳する冒険者になれる。爽快と心地よい不安。読むことの悦楽だ。

今回の展示は、観るというより体験したと感じるものにならないだろうか、を試みたものだ。なにしろ、旧来の文学館展示のように生原稿などがあるわけではないからだ。

どうしたら、作家阿部智里の魅力に迫れるのか。作家の大きく羽ばたく想像力を感じてもらえるのか。

その展示の試行錯誤を一緒に体感してもらえれば望外の喜びである。

「想像力だけが鳥よりも高く飛ぶことが出来る」のである。

2019年06月29日 【榎本了壱「線セーション」展】ごあいさつ

 渦巻き。

 最近の榎本了壱の図像に度々現れるモチーフだ。上昇しているような下降しているような螺旋運動。バベルの塔の螺旋階段は、異界へ向かうための眩惑装置である。榎本了壱のエロス的螺旋も、ここではないどこかへ向かうための装置だ。

 大作は、澁澤龍彦の「高丘親王航海記」だ。ここではないどこかを希求する壮大な旅。この物語と対峙するなかで、彼は渦巻きという表現に出逢った。そう私は勝手に解釈している。

 渦巻きの方角、ここではないどこかは、榎本自身の幼年だ。二科展に入選した十代の榎本了壱に、怒涛のごとく荒れ狂った渦巻きが航海を始める。その出発地点が「高丘親王航海記」だったのだ。

 三浦雅士は、処女作はその後の作品によって成長したり衰退する、と言っている。

 だとすると、榎本了壱は、自身の出発点を成長させたくなったに違いない。始まりの成育は終わりの始まりだ。終わりの始まりは、始まりの終わりでもある。始まりも終わりも消失したボルヘス的砂漠の迷宮。

 榎本了壱の絵画の渦巻きを観ていると、眩暈と浮遊感が襲ってくる。それは迷宮の旅の扉を開けてしまったからなのだ。

2019年04月27日 【詩の未来へ 現代詩手帖の60年 】ごあいさつ

 言葉の発生は生存の欲求からではなく、遊びから生まれた。そう考えた方が自然に思える。家の始まりが雨露をしのぐことで作られたのではないという歴史と同根だ。

 いってみれば、詩から言葉が生まれたのだ。だとすると、詩の雑誌は、言葉の発生から始まる長い旅路の里程標なのかも知れない。

 文学館が扱うのは人間だ。しかし今回は「現代詩手帖」である。雑誌を表現者として捉え、ページという作品群との出逢いを楽しもうという試みである。

 「作者の死」以後、実人生と作品とを切り離して思索する方法が広まった。

 しかし、雑誌という表現者は、むしろ作者と作品を一体化して探索した方が、リアルな実相が浮かび上がる。「現代詩手帖」が発信し続けた六十年間の大量の言葉。それらがどのように社会に浸透し反射し発酵して行ったのか。その運動のダイナミズムを味わっていただければ幸いです。

2019年04月20日 【定点観測展 萩原朔美の仕事vol.2 】ごあいさつ

 広瀬川は、もちろん同じ川ではない。毎日生死を繰り返している。「パンタレイ」万物流転であり、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」である。

両岸に咲いている櫻は、散るから花見したくなるのである。

死のメタファーは最も人を惹きつける。愛でているのは美しい花ではなく、美しい死なのだ。でなければ、花見がこんなに盛んなわけがない。

 定点観測という方法は、写真を使った死の観察だ。神の視線のシュミレーションである。どんな悲劇も、神という距離から眺めれば喜劇である。

 だから、定点観測写真は、時におかしく、悲しいのである。

 今回の仕事展は、定点観測写真と、定点観測的な発想から生まれた動画を展示した。こりもせず、あきもせず、長年続けたチリの山を展示して廃棄すれば、また何か新しく作り始められるかも知れない。そんな思いを含んだレクイエムが流れる展示でもある。たのしんでいただけたら幸いです。

 

 

2019年04月19日 館長の言葉23

今日は人生史上一番歳をとった日だ。
だけど、前を向けば今日は自分史上一番若い日だ。新しいことにチャレンジするチャンスが今日だ。

2019年04月12日 館長の言葉22

お花見の魅力。それは、もちろん櫻は散るからだ。咲き誇るときが終りを内包している。それが美しいのだ。人を最も魅了する鑑賞は、死のメタファーである。
だから、あらゆる表現のテーマは死なのだ。前橋文学館が、人の心を打つ死を展開すれば、美しい前橋文学館が生きたことになるのである。

2019年04月12日 館長の言葉21

前橋文学館は私たちの既知ではない。常に私たちの未知である。

2019年04月06日 館長の言葉20

前橋文学館は、今、最新の過去を作っている。
まだ出逢った事のない人に、長い手紙を書いている。

2019年04月02日 館長の言葉19

よい企画展示とは、これ以上はないような完璧な展示ではない。次の展示のヒ ントになる、新しい発展可能な胚芽を持った空間。それが、よい企画展示である。

2019年04月02日 館長の言葉18

前橋文学館に完成という言葉はない。未完成ではない。初めから完成を目指し ていない。常に前進を夢みているから、前橋文学館は非完成なのである。

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