前橋文学館ブログ

2018年02月03日 博物館実習について

 平成30年度博物館実習について、前橋文学館では5名実習生を受け入れます。募集期間は平成30年2月19日から平成30年4月27日まで、希望者本人が当館へ電話にてお申し込みください。実習期間は平成30年8月中を予定しております。詳細は実施要項をご確認ください。

 

博物館実習実施要項

 

2018年01月24日 ねこだらけ!

 文学館内に、かわいらしい猫のイラストが増殖中です!

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猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。

『猫町』より

 今にも壁面から飛び出して気ままに歩き出しそうな、この生き生きとした猫たちのイラストは、前橋市出身のマンガ家でありイラストレーターの雨月 衣さんの手によるものです。

 猫たちは雨月さんによる作品展〈猫町、音娘町、寝子町〉の開催期間の延長に伴い、1月末まで文学館1階ロビーを賑わわせてくれています。猫好きの皆さんも、ぜひご覧ください!

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2018年01月09日 麗らかな

 1915(大正4)年1月9日より、北原白秋が朔太郎を訪ねて前橋に一週間ほど滞在しました。その時の経緯は「地上巡礼」2巻2号(1915年3月)に白秋が書いた「編集室夜話」に詳しく、

 

 一月の九日頃、何の気もなく銀座を歩るいてゐた私は、ふいと前橋の萩原朔太郎君に逢ひ度くなつて、上野へ飛んでゆき、同君に打電して置いて、すぐ汽車に躍り込んで了つた。(中略)萩原君は高崎まで迎ひに来てくれた。それから前橋に着いて、私は七日ほどすつかり私の書斎を忘れて暮した。そのうちに尾山篤次郎君がまた私を追つて来たのである。その前橋では一夜牡丹雪が降つた。さうして赤城をはじめ妙義、浅間、榛名、相馬の連山が雪で真白くなつた。山は皆鋭角をなしてゐる。その中に白い浅間の天辺から白い煙が麗らかにのぼる。空をゆく雲は正覚坊となり卵を落とす。何ともいへない眺めである。それが忘れられないで、東京へ帰つてから、前橋の「侏儒」の人たちに絵を描いて送つた。而して私自身には麗空といふ詩を作つた。

 

と書いています。同誌に収録された「麗(うら)らかな、麗らかな、…」という節がくり返されるこの「麗空」を読むと、この時白秋が感じた澄み渡った心持が伝わって来るようです。白秋は後年、この当時を回顧して「麗らか時代」と呼んでいます。朔太郎は、白秋が自分に「フイに小生に逢ひたくなつて来」たことにいたく感激し、「あなたに抱きつきたいやうに思つた。何といつても二日や三日では帰さないと思」ったと白秋宛の書簡に綴っています。

 またその時の2人の様子は、朔太郎が、前橋出立後の白秋に宛てた別の書簡からも読み取れます。

 

(前略)

 此の一週間は小生にとつて最も愉快な最も光栄ある最も記録すべき週間でした、生れて始めて私はうららかの気分を感得することが出来ました、私の生活の新しいレコードを作ることが出来ました、

 貴下に対する敬愛の情は今やその極点に達して居ます、私は今までこれ程へんな気がしたことはありません、

 今朝起きて見ると私一人なのが不思議でたまりません、

 病気が治り次第すぐにも東京へとんで行きたく思ひます、例の痴話狂ひの一条は考へ出すと冷汗が出ます、(略)

『萩原朔太郎全集』第13巻(筑摩書房)

 

 ある日、新玉という前橋で名の知られた蕎麦屋で呑んだとき、白秋と朔太郎の詩論が白熱しすぎて、白秋が杯を投げつけ朔太郎が涙を流したという一幕があったようで、それを指して朔太郎は「例の痴話狂ひの一条」と言っています。

 

 また『犀星随筆集 文学』(1935年9月 三笠書房)収載「文学的自叙伝」によると、室生犀星はその件で頭に血が上ったのであろう朔太郎からとんでもない電報を受け取っていたようで、

 

 或日、前橋市の萩原君から飛報があつて、北原白秋、前橋に来る、いま我々は歓迎に忙殺されつつありなどといふ通信が来て、けふは何処で呑んだとか言つて来たりした。北原君は萩原君の家に泊つてゐるらしい容子であつた。二日程経つと「キタハラハクシウ、ナグレ」といふ電報が着いて、酔つぱらひの二人が遂々喧嘩までしたことが分つた。

 

と、書いています。犀星が心配して白秋に手紙を出したりしていると、再び朔太郎から電報が届きます。その内容は「仲直りしたから安心してくれ」というものでした。ひと騒動あったものの、朔太郎は白秋のこの突然の来橋によってますます白秋に魅了されたと見え、再びの来橋を催促する旨の手紙をしばらくの間差し出し続けました。

 

 本日は前橋市の初市のため、前橋文学館は無料開館日となっています。白秋が滞在したという離れ座敷は、文学館向かい側の萩原朔太郎記念館内にございますので、文学館にお越しの際はぜひお立ち寄りください。

朔太郎記念館:離れ座敷内観

2017年12月26日 「ヒツクリコ ガツクリコ」展のもとになった詩

 10月20日よりアーツ前橋と共同でお送りしている企画展「ヒツクリコ ガツクリコ ことばの生まれる場所」の会期も残すところあとわずかとなりました。現在展示中である、本展タイトルの元となった詩のノートはもうご覧になって頂けたでしょうか?

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 「ヒツクリコ ガツクリコ」というのは酔った詩人が前橋の街を歩いていく様子を表した擬態語で、独特の響きを持っています。こちらは、未発表詩篇などが収録された『萩原朔太郎全集』第3巻(筑摩書房)中に収められた詩篇ですが、同じく『萩原朔太郎全集』第12巻に収録された「ノート一」の記述によると、朔太郎は雑誌「侏儒(こびと)」1月号にこの詩を寄稿したと書いています。

 

(前略)

 侏儒一月号の詩稿一篇同封しておきました。

 流石、のんだくれの探偵詩人プロテヤ氏が肉身ランヱの疾患の極に達してニカハをふみつけたので、霊肉共に憔悴困惑して居るところを侏儒の諸君と前橋の市民等がエノ木マチの一角で指さし嘲笑して居る光景です。題を「夕やけの路」としました。悲惨なる頽廃、デカダン行路の象徴です。

 

 「のんだくれの探偵詩人プロテア」とは、1913年公開のフランス連続映画「プロテア」の主人公である女探偵プロテアに影響されて、朔太郎が名乗っていた名です。映画は同年12月1日に日本で初公開され、朔太郎は1914(大正3)年7月に観に行き、犀星とともに熱狂しました。

 「侏儒(こびと)」(侏儒社)とは1914(大正3)年8月に前橋で発行され、1915(大正4)年に終刊した詩歌雑誌で、誌名は朔太郎が命名しました。朔太郎のもとに集った若い歌人たちが中心となって刊行され、朔太郎は指導者的な立場であったといいます。同人は北原放二、木下謙吉、金井津根吉、河原侃二、梅沢英之助、奈良宇太治、倉田健次ら。ほかに北原白秋、室生犀星、山村暮鳥、前田夕暮、尾山篤二郎らも作品を発表しています。このように充実した執筆陣と内容で、群馬の近代詩歌における先駆的な役割を果たしました。編集発行人は梅沢英之助で、「ノート一」の中にも「梅沢君」の名前が見られます。

 酔っ払いの上に膠を踏みつけて、危うい足どりで町を歩いていく描写からは、朔太郎流のニヒルなユーモアとリズムを感じますね。

 

 会期終了も差し迫った中ではありますが、前橋文学館は12月27日より1月4日まで休館とさせて頂きますのでご来館の際はお気を付けください。皆様、よいお年を!

2017年12月22日 一部展示替えを行いました

 12月16日より常設展の一部を展示替えし、新たに発見された朔太郎の2つの書簡を展示いたしました。歌人であり詩人の正富汪洋宛のこちらの書簡は、当時の詩壇への朔太郎の認識と熱意が鮮明に見て取れる貴重な資料となっています。

 正富汪洋は1881(明治14)年生まれ。車前草社同人として詩、短歌に活躍しました。詩作は生涯にわたり、同郷の詩人であり呉文学者の矢野峰人をして「奔放のうち脱俗の趣あり、哲人的風格を帯ぶ」と評される自由な詩風で大正中期から多くの詩集を刊行。晩年は日本詩人クラブの発展に尽くしました。没後、1969(昭和44)年には木犀書房から『正富汪洋全詩集』が刊行されています。

 

 朔太郎は1918(大正7)年3月に発刊された正富汪洋主宰の新雑誌「新進詩人」の発展が既存の詩壇のありかたに一石を投じるものとして大きな期待を寄せており、同誌に散文「詩の概念」を寄稿しました。この手紙の中でも汪洋を称賛し、「できるだけの御手つだひをさせていただきたいと思ひます」「あなたの花々しい奮闘を私は心から期待してゐます」とエールを送っています。この頃の朔太郎は前年の1917(大正6)年2月に刊行した詩集『月に吠える』が認められていた時期で、意気軒昂とした様子がうかがえます。

 また朔太郎が手紙の中で「お根性」という、意地が悪いことを指して言う群馬県の方言を使用しているのも大変興味深いかと思います。この機会に、ぜひ間近で現物をご覧ください。

 

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2017年12月21日 文学館のクリスマス

 師走とはよく言ったもので、あっという間に12月も半ばを過ぎ、日ごと深まる寒さに、本格的な冬の訪れを感じています。

 クリスマスシーズンの到来に併せて、前橋文学館前の朔太郎さんも、今だけはオシャレにクリスマスの装いで澄ましています。文学館ロビーには少し前から白いツリーが飾られ、4階のBOXY屋台もいつもと違った飾りつけで皆様をお出迎えしています。

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 朔太郎が生きた時代にもクリスマスを楽しむ風習はあったようで、朔太郎は詩と随筆に、それぞれ「クリスマス」「クリスマスの悲哀」などを残しています。

 

クリスマス(「令女界」昭和2年12月号より)

 

クリスマスとは何ぞや

我が隣の子の羨ましきに

そが高き窓をのぞきたり。

飾れる部屋部屋

我が知らぬ西洋の怪しき玩具と

銀紙のかがやく星星。

我れにも欲しく

我が家にもクリスマスのあればよからん。

耶蘇教の家の羨ましく

風琴の唱歌する声をききつつ

冬の夜幼なき眼に涙ながしぬ。

 

 幼い子どもが、隣家の窓辺からクリスマス飾りできらびやかに彩られた暖かな家庭を、目に涙をためながら覗いているというなんとも切なく、それでいて愛らしい様子が目に浮かぶようです。クリスマスらしく華やかで賑やかな内容…という発想にはいかないところが、朔太郎さんならではといったところでしょうか。

また「クリスマスの悲哀」(1936(昭和11)年に東京朝日新聞掲載)には

 

“クリスマスで町が賑はつてゐる。キリスト教徒でもない日本人がクリスマスを祝祭するとは何事だらう。”

 

などと書かれていることから、萩原家ではクリスマスを祝う風習は特になかったのかもしれません。「クリスマスの悲哀」からは朔太郎がクリスマスに複雑な思いを寄せていることがうかがえます。

 

 さて、そんなクリスマスに関してですが、前橋文学館では12月23日に前橋高校の音楽部によるコンサートが開催されます。詳細はイベントページよりご確認いただけます。高校生による力強く伸びやかな合唱、アカペラ、クリスマスソングなどをぜひお楽しみください。

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  / メリークリスマス! \

 

2017年11月24日 雨月 衣さんによる作品展を開催中です

 前橋文学館では現在開催中の企画展「ヒツクリコ ガツクリコ ことばの生まれる場所」と連携した街なか回遊プロジェクト「前橋ことばの学校」の一環として、前橋市出身のマンガ家でありイラストレーターの雨月 衣さんによる作品展〈猫町、音娘町、寝子町〉を1階フロアにて開催中です。

 

 会期は11月20日から2018年1月16日まで。会期中は雨月さんによる描き下ろしパネルと、「猫町」をテーマとしたマンガ「猫町、音娘町、寝子町」の生原稿が並びます。ここではほんの少しだけご紹介。表現豊かでみずみずしい雨月さんの筆致はぜひ会場にてご確認ください。

 

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文学館1階を華やかに飾ってくれています!

 

 雨月衣さんプロフィール

マンガ家、イラストレーター。前橋市出身。誕生日は萩原朔太郎と同じ11月1日。マンガ雑誌「ぶ~け」(集英社)でマンガ家デビュー。同誌でエッセイマンガ『Talking Lip』連載、TV番組「伊東家の食卓」(日本テレビ)でイラスト担当を経て、現在、女性誌を中心に雑誌や書籍web等でイラストレーターとして活動中。

ホームページ https://ugetsu-koromo.com

 

 「前橋ことばの学校」期間中は他にもイベントが盛りだくさん。さらに街なかを歩いて楽しめる仕掛けも多くちりばめられています。秋の終わりに、前橋の街なかを朔太郎流に「漫歩」してみてはいかがでしょうか。

ことばの学校

2017年11月24日 秋と漫歩

 11月も終わりに差し掛かり、文学館周辺もすっかり肌寒くなりました。色付いた落葉が朔太郎像の上に散ってくる様子は、「さびしい人格」(『月に吠える』)の、“ああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝の上にも散つてくるではないか。”という一行を彷彿とさせます。

 秋といえば、1935(昭和10)年11月に「週刊朝日」に掲載されたエッセイ「秋と漫歩」(『廊下と室房』1936年所収)には、朔太郎が四季の中で秋を最も愛していたということが綴られています。またこの随筆において、自身の散歩趣味についても言及しています。ただの散歩ではなく、人の行き来する雑沓の中をあてどなく歩き、丁度いい場所を見つけては休憩し、長時間ぼんやりと坐って群集を眺めて居る。というのが朔太郎流。以下に一部引用いたします。

 

 だが私が秋を好むのは、かうした一般的の理由以外に、特殊な個人的の意味もあるのだ。といふのは、秋が戸外の散歩に適してゐるからである。(中略)

 多くの場合、私は行く先の目的もなく方角もなく、失神者のやうにうろうろと歩き廻つてゐるのである。そこで「漫歩」といふ語がいちばん適切してゐるのだけれども、私の場合は瞑想に耽り続けてゐるのであるから、かりに言葉があつたら「瞑歩」といふ字を使ひたいと思ふのである。

 私はどんな所でも歩き廻る。だがたいていの場合は、市中の賑やかな雑沓の中を歩いてゐる。少し歩き疲れた時は、どこでもベンチを探して腰をかける。この目的には、公園と停留場とがいちばん好い。特に停車場の待合室は好い。単に休息するばかりでなく、そこに旅客や群集を見てゐることが楽しみなのだ。時として私は、単にその楽しみだけで停車場へ行き、三時間もぼんやり坐つてゐることがある。それが自分の家では、一時間も退屈でゐることが出來ないのだ。(中略)

 秋の晴れ渡つた空を見ると、私の心に不思議なノスタルヂアが起つて來る。何処とも知れず、見知らぬ町へ旅をしてみたくなるのである。

 

 朔太郎は秋を愛し、秋を主題とした作品を詩歌や随筆に数多く残しました。また、作品の登場人物が逍遥する場面が頻繁に描写されているのを見ると、このような朔太郎の散歩趣味(朔太郎風に言うと漫歩、瞑歩)は創作の源と言えるのではないかと思います。

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2017年11月20日 萩原朔太郎記念館の展示

 前橋文学館南に設置されていた赤いポストが、萩原朔太郎記念館敷地内に移転され赤く塗り直されました。

 こちらのポストに投函していただくと、朔太郎の詩碑と広瀬川、そして赤城山が写った風景印が押されて配達されます。朔太郎が見て育った前橋の風景を、大切な方へのお手紙に添えてみてはいかがでしょうか?

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 さて、萩原朔太郎記念館敷地内にある土蔵ではただ今、アーツ前橋で開催したワークショップにて絵本作家・荒井良二さんと32人の子どもたちが製作した作品《オノマトペッコ》の一部を展示しています! こちらの展示の元となったアーツ前橋での作品の様子も少しご紹介させていただきますね。

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 どうですか、このエネルギー! 躍動的な色使い、モノの使い方にはただただ圧倒されます。アートの中には、たくさんのオリジナル・オノマトペが散りばめられています。

 

 そして、荒井さんと子どもたちが一丸となって自由な発想で生み出したオノマトペの中から、荒井さんが選びぬいたオノマトペが前橋文学館の土蔵の中を彩り、個性的な「ことば」にあふれた空間になりました。子どもたちの伸びやかな感性が捉えた音を想像しながら、ぜひご覧ください。

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 企画展が始まってから、早くも一月が過ぎました。夜の街を歩く様子を萩原朔太郎が独特のオノマトペによってあらわした「ヒツクリコ ガツクリコ」。今回の企画展タイトルともなったこちらの詩の自筆ノートを、現在前橋文学館で展示しています。展示することも珍しい未発表詩篇なので、この機を逃さず是非ご覧ください。

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2017年11月02日 11月1日は…

 11月1日は、萩原朔太郎の131歳の誕生日です。前橋文学館でも一日遅れのお誕生祝いを致しました。朔太郎さん、お誕生日おめでとうございます!

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写真は文学館職員です。これからも朔太郎さんに続いて、近代詩を盛り立てていきますよ!

 

 過去の記事でも触れていますが、朔太郎の誕生日と名前には密接な繋がりがあります。 『萩原朔太郎全集』11巻中「名前の話」によると、朔太郎という名前は「十一月一日に生まれた。長男で朔日(ついたち)生まれであるから、簡単に朔太郎と命名されたので、まことに単純明白、二二ヶ四的に合理的で平凡の名前である」「若い時の僕は、その平凡さが厭やだつた」ということですが、朔太郎の思いとは裏腹に、「風変りに珍らし」い名前だと感じる人も多かったといいます。

 

 朔太郎が生まれたのが11月1日、亡くなったのが5月11日。生涯の親友である犀星の誕生日が8月1日、尊敬してやまない北原白秋の誕生日が1月25日。こうして並べてみると、朔太郎と1という数字には何か不思議な因果があるような、そんな思いを禁じ得ません。

常設展示萩原朔太郎 満二歳

 満2歳の朔太郎

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