【悪筆。文字書体をなさず。冷汗冷汗。-萩原朔太郎と文字展】ごあいさつ
2026年03月21日
解読係りという編集者が、各出版社には居る。などという都市伝説のような話を聞いた事がある。
悪筆な小説家の原稿は、普通の人には全く読む事が出来ない。そこで担当編集者が悪筆の癖を理解し、解読する必要があったのだ。プロの解読者とは古文書の学者のようですごい。
私が聞いた難解悪筆家の筆頭は、石原慎太郎だった。雑誌に載っていた肉筆原稿を見た事があったけれど、確かに読むのが難しかった。あと大江健三郎も読みづらいと編集者が言っていた。私の母親も読みづらい文字だった。原稿はまだしも、手紙が細かい文字で読むのにひと苦労だった。もっとも、私の手紙は字が下手で読みにくいから、もっと丁寧に書きなさいと母親によく言われたけれど。
まあ、よくいえば悪筆とは個性のことでもあるから、作家の手書き原稿の解読の作業は、そんなに担当編集者にとって苦行では無いかもしれない。
朔太郎の手書き文字も読みやすいとは言いがたい。若い時の丸文字から晩年の鋭角的な文字への変化は、そのまま内容の変容を表しているようである。その意味では、内容が文字を変化させたのか、文字の変化が内容を規制したのかを考えると面白い。手書き文字のデザインはもう一つの意味を文字に纏わせているのだ。そのもう一つの意味を考える楽しさは、印刷文字では味わうことが出来ない。そう考えると、多くの人がパソコンでの執筆になってしまったので、今は文字から個性は失われてしまった。
以前、飛行機の事故で亡くなった乗客が家族に残した走り書きを見た事がある。その文字のかたちを見ただけで、胸が締め付けられた。引っ掻き傷のような文字。のたうち回るような文字。消えそうな文字。メッセージ以上にその筆跡が全てをあらわしていて泣けてしまった。手書きは、印刷文字よりもはるかに人の心を揺り動かす手段なのである。
本展の、詩人の手書き文字の変化に着目して、形式と内容、筆跡と意味、グーテンベルクの功罪、筆、ペン、鉛筆等の道具とデザインについてなど、さまざまな切り口で楽しんで頂けたら幸いです。