メッセージ

2018年02月10日

 不思議なことに、小説やエッセイだと黙読するのに、詩は思わず声に出して読んでしまう。そんなことありませんか。何故か声に出すと本当に読んだ気持ちになる。どうしてなのでしょうか。

 詩人の吉増剛造さんが、黙読すると意味が伝わる、音読すると魂に届くというようなことを書いていました。声に出すという鑑賞方法に、詩という文字列表現の秘密が隠されているような気が、わたしはするのです。

 若い芽のポエムは、今まで多くの詩を世に送り出してきました。多くの人々の魂に、詩の魅力が届いたのではないでしょうか。

 「言語は詩から、社会は遊びから始まった」

と「ホモ・ルーデンス」でホイジンガが言っています。だとしたら、詩はあらゆる表現の母親みたいなものです。大切に育てていかなければならないと思います。若い芽のポエムの歴史は、単にイベントとしての試みではなく、人と言葉との関係を考える大切な時間だったと思うのです。これからも書き続けてください。

 表現することと生きることを併走させる。それが若い芽のポエムの精神だとわたしは思うのです。

 

(『詩のまち前橋 若い芽のポエム 二十周年記念作品集』収載)

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