遠さを覗く

2018年04月14日

 乗り換えることの妙味。

 今回の企画展示「サクタロウをアートする」を一言でいうとそんな感じである。

 サインビークルは、乗り換え自由が前提だ。乗り換えることで乗客である情報はより輝きを増す。

 原画からコピーに乗り換える。コピーしたものをパソコンに乗り換える。パソコンで加工してプリントアウトに乗り換える。それを添付という乗り換え作業で送る。ディスプレイ上でデザインし、紙に乗り換え印刷する。

 最近は、ポスターのような出来上がったものを、携帯で撮影という乗り換えをやって拡散させている。

 こうして、何度もイメージは乗り物を乗り換え、変貌する。変貌は、原画とどのように距離を保ち、かつ遠くへと飛翔が可能なのかを問うことだ。そのバランスの冒険を楽しむことである。

 朔太郎の文字列はどのような乗り物に乗り換えが可能なのか。発想は大胆に。作品は繊細に。距離とバランスの視覚化が、本企画の意図なのである。

 それにしても、言葉が動画に変換され、音楽になり、立体化され、コラージュになり、刺繍や写真になっているのを見ると、逆に詩という文字列表現の可能性を考えてしまうのは何故だろうか。もしかすると、アートの中にこそ詩があるということを示唆しているのかも知れないのだ。

 それは、詩が作品と対立せず、共存しているからなのだろう。詩は多重人格だから、はじめから対立という関係を生み出さないとも言えるのだ。

 この不思議な距離感は新鮮な驚きであった。作品たちも、たぶん驚いていると思う。

  「距離とは遠さを覗こうとすることだ」といったのはハイデガーだ。アートと詩との新鮮な距離。その遠さを楽しんでいただけたらと、切に願う次第である。

(【サクタロウをアートする】ごあいさつ)

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