エッセイ「切り口の面白さ」

2017年05月11日

 研究という行為は、全て過去の出来事を対象にしているけれど、実は今という地平から見た過去だ。五年前に分析した過去と、今年から眺めた過去は別物なのだ。ということは、常に新しい切り口を探し続けることでもあるだろう。

 私は今まで、なにかを研究した経験がない。

 だから、常に新しい切り口を探す苦労を知らない。朔太郎のことも、もちろん研究したことはない。

 ところが、一昨年研究会会長だった三浦雅士さんから、「孫から見た朔太郎」のことを話せと言われ、仕方なく詩集を読んでみた。すると、幾つかの発見があった。

 一番の発見は詩の中に出てくる色彩は白が圧倒的に多いということだった。そこで思い浮かんだのは、朔太郎の幼少期の生活空間だった。病院はカーテン、ベッドカバー、シーツ、布団カバー、枕カバー、壁、看護婦の制服、医者のスタイル、全て白である。だから表現の中の色は白なのだと話した。

 しかし、その後どうも違うのではないかと思い始めた。「広瀬川白く流れ」を例えば、「青く流れ」だとしたらどうだろう。イメージが限定されてしまうのだ。青から逃れることが出来ない。白だと川が白いわけがないのでどの様にも読み手は想像できる。それが白を選択した意図ではないだろうか。

 さらに、白は三原色が全て混合した現象だ。だから、白と表記すれば全ての色を感じることが出来るようになる。それを意図していたのではないだろうか。そんなことも浮かんできた。

 今は全く別のことを考えている。白は西洋に対する憧れの現れではないだろうか。

 例えば、谷崎が描く女性の肉体は全て白い肌である。これは西洋への憧れから出発している。朔太郎の白へのこだわりの中にも、同種の願望が流れているかも知れない。そう思えてきたのである。

 もうひとつは、朔太郎は光のことを白と言っているのかも、とも思えてきた。ガラスの板をこなごなになるまで割ると、白い砂のようになる。あれは光の乱反射だ。広瀬川は光の輪舞によって白くなっているのかも知れない。もちろん正解などないだろう。

 しかし、朔太郎研究会の活動の面白さだけは少し分かったような気がしている。

 これからは、新会長の松浦寿輝さんのもと、新入会員の参加を呼び掛けて、活発な活動を続けてください。面白い研究発表で観客を驚かせてくれることを期待しています。

 

 

(『萩原朔太郎研究会 会報 SAKU』No.82 H29.5.11)

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