表現するということ

2017年04月15日

 床から天井までの大きな本棚のある部屋。わたしがもの心ついた家は大量の書籍に囲まれている家だった。そんな環境 だと普通は読書家になるはずだけれど、なぜか反発して本はまったく読まなかった。母親が来る日も来る日も机にしがみ ついていたから、文章も書きたくなかった。作文が苦手で国語が嫌いになった。

 小学生の時は、画家になりたかった。当時のわたしのスターは、ムンクとビュッフェだ。近所の画家のアトリエに通った。具象の作家で、今考えると団体系の画家だったように思う。風景や静物や人物を描いている地味で寡黙な作家だった。

 画家の夢は中学で挫折した。学校での授業で名画の模写を強制されたからだ。教師と対立して意欲がなくなってしまった。水彩も苦手だった。

 母親の希望は子供が芸術家になることだったようだ。常に

「仕事しなさい」

と言い続けた。

 仕事とは経済活動ではなく表現活動のことだった。

 だから、わたしが寺山修司の演劇実験室・天井棧敷で役者をはじめた時は喜んだ。森茉莉さんと二人で何回も観に来た。

 劇団を辞めて版画や映像作品を作りはじめた時も反対はしなかった。版画で賞をとった時は、受賞式に一緒に行くと言った。

 その後会社を設立すると、あまりいい顔をしない。会社がどんどん規模を拡大させても

「提清二にはなれないでしょ」

と言った。

「忙しいと仕事が出来なくなる」

と不満なのだった。

 大学の教授になった時も

「その仕事は暇な時間作れるの」

と聞いた。

 暇な時間にちゃんと自分の仕事しなさいというのである。

 今回の展示のタイトルを「仕事展」としたのは、そんな母親の口癖が反映されているのだ。纏めてみれば、少しは仕事してきたように見えるかも知れない。亡き母親に対しての言い訳のような行為でもあるだろう。

 こうして、写真や映像や本を並べてみると、ばらばらなようでいて、ずっと同じ発想で「仕事」し続けていることが自分なりに理解できる。

 たとえば映像作品は、映像で映像を解体するような実験的な試みから、エッセイのような私小説のようなものに激変している。アーティストブックも、コンセプト重視から、日常の記録にみえるものに変容している。

 しかし、その変化も結局は「差異と反復」という言葉に収斂できるように思えるのだ。

 これは、二年前にわたしの個展を見た友人の美学者谷川渥がジル・ドゥルーズのタイトルを引用して言ったことだ。確 かに、わたしは定点観測写真のように、同じものを繰り返し観察することで、わずかなズレを出現させることが好きなの だ。そのズレは時間の痕跡だったり、時間の忘れ形見であったりする。

 変容を観察し変容の度合いを測ることに面白さを見出しているのである。変容というズレのために反復は欠かせない“仕事”なのだ。

 最近の写真は携帯で撮影している。道を歩いていて見かけるものの中から、テーマを設定してシャッターを切る。コーンや“止まれ”のサインや矢印、郵便受け、ミラーに映る自分、靴跡など手当たり次第撮影するので、同行者から嫌われてしまう。そうして一つのテーマが千枚を超えると冊子にしたりしているのである。これも、ズレを発見するための反復行為である。

 今年の三月で教員生活が定年退職となった。そして、今年から文学館との関わりが本格化することとなった。その時期にこうした展示ができたことに感謝を言いたい。この「仕事展」を新たな出発のスタート地点としたいと思っている。前橋文学館を最も有名な人気者にする。それがこれからのわたしの仕事である。

 

 

 

(『萩原朔美の仕事展 図録』寄稿 H29.4)

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