『月に吠える』を見る

2017年07月22日

 詩集として読むのではなく、『月に吠える』を詩画集として見るとどんな本として見えてくるのだろうか。

 というのも、朔太郎は恩地孝四郎に

「今度の出版は私一人の詩集でなく、故田中氏と大兄と小生との三人の芸術的共同事業でありたい、少なくとも私はさう思つてゐる。それ故、普通の出版物の表装や挿画を画く画家と著者との関係のやうに非肉交的(芸術上で)の無意味なものでなくありたいと思ひます」

との書簡を送っているからだ。

 

 そして、具体的に

「美しい詩画集を出したいのです。(ワイルドのサロメの挿画をビアゼレが描いてゐる。私はああした意味の出版物に非常な同感をもつて居ます)」

と書いている。詩集ではなく詩画集として構想された本だからなのだ。

 

 そこで、カバーを見てみると、田中恭吉の絵「夜の花」が用いられている。この絵のことを『月に吠える』の「挿画附言」のなかで恩地孝四郎が、

「包紙に用ひた「夜の花」は彼自身、もしも詩集でも出すことがあれば表紙にするのだといつたもので、いま、採りてこの詩集に用ひた」

と書いている。

 

 一九九七年に玲風書房から出版された『田中恭吉作品集』のなかに、この「夜の花」はどういう訳か見当たらない。作品としては残っていないのだろうか。恩地孝四郎があとがきで「印刷で止むなく画を損じたけれど」と書いてあるから、本当に残せる状態ではなくなってしまったのかも知れない。

 

 小さい図版なのでよくはわからないが、「[密室9表紙絵]1914・3」という図版によく似たようなものがある。おそらく、遺作の中から恩地孝四郎が発見し、デザイナーの目で決定したのだろう。素晴らしいセンスである。デザインが内容にまで食い込んで、内容と併走しているように見えるからである。

 

 「夜の花」も、カバーの背表紙のタイトルと筆者名もフリーハンドの黒の罫線で囲んである。オリジナルの作品であることの強調だ。

 

 本表紙は罫線がない。本の装丁の意匠としては、罫線はいらないデザインなのだ。

 

 面白いと思ったのは、本表紙は恩地孝四郎の絵で、タイトルが「われひらく」なのだ。カバーが開ききった花で、その後ろがまだこれから咲く花。明らかな意図がこめられた配置である。

 

 詩画集らしい頁構成は、はじめの扉に

 

 

  月に吠える  詩 集

 

 

とある。

 

 つぎの頁にも、今度は

 

 

      月

 

   詩  に

 

      吠

 

   集  え

 

      る

 

 

とあり、作者や序文の筆者、挿画者二名がすべて横書きで表記されている。

 

 なぜ、一番はじめの扉のタイトルが、「月に吠える  詩 集」で、「詩集」が後ろなのだろうか。

 

 これは、最後の頁(「挿画附言」の前で、詩集としての最後)に答えがある。最後が

 

 

  月に吠える   完

 

 

となっているのだ。詩集が上だと、

 

 

 「詩集 月に吠える 完」

 

 

 だけれど、下に詩集がくれば、

 

 

  月に吠える  詩 集

 

  月に吠える   完

 

 

と、文字が揃うのだ。

 

 挿画と文字との関係でいえば、病床で描いたという、薬の紙の絵の対抗頁が

 「あかるき鉢の底より、

 

 われは白き指をさしぬけり。」

になっている。どことなく、細い腕と手のように見える図柄なので、これを選んだのだろう。

 

 最も印象的なのはやはり扉の口絵だろう。前出の画集に収録されているものは、ベースの色は黒だ。縁取りが黒だと、葬儀の黒枠のように感じられる。私が見たのは、地色がダークグレーだ。おそらく、本表紙、見返しがとも紙でこげ茶だから、扉の明度もそれに合わせたのだろう。

 

 対抗頁に文字がなく、絵を見せるだけのものが、扉を含めて五枚ある。この贅沢な印刷の構成が詩画集らしい演出になっているところである。

 

 恩地孝四郎の抽象表現の版画は、後半に三点ある。田中恭吉とは全く異質な作風だが優美な雰囲気のあるいい作品である。その二点に目次で「附録」とわざわざ表記してある。そんなところが恩地孝四郎の立ち位置と人柄を感じさせて微笑ましい。機会があれば、今度は絵と文字の関係を書いてみたい。

 

 

(「詩集『月に吠える』100年記念展 図録」収載)

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