我が家の思い出
2017年10月01日
不思議なことがある。夢の中に出てくる家は、今も昔もずっとかわらない一軒の家なのだ。それは、両親が建てた木造平屋の家だ。私はそこで幼稚園から高校卒業まで暮らした。
しかし夢の中では、今も私はそこにずっと住み続けている。時には屋根の上から空を遊泳したり、大きな蓄音機でレコードを聞いているのだ。
今から考えてみると、その家はとてもモダンな作りだった。庭は一面の芝生。天然石のテラスには卓球台が置いてあった。応接間はフローリングで白の塗り壁。当時、世田谷の梅丘は一面畑だった。まだ近所には農家が点在していたから、そこにポツンとアメリカ人が住んでいるような家が出現したのだから、近所の人は驚いたのではないだろうか。塀は白ペンキで塗られた木の柵が曲線を描き、赤いバラが絡まっていた。
一番雰囲気がよかったのは、白壁に作られたニッチだ。白壁に正方形にくりぬかれた空間は、夜になると陰影を生み出して落ち着いた雰囲気を醸し出す。部屋の表情がニッチの影によって一変するのだ。きっとヨーロッパではキリスト像なんかが置かれる空間かも知れない。我が家ではずっと花瓶の花が飾られていた。
私が中学生のころ、このニッチに彫刻家船越保武作のブロンズ「萩原朔太郎像」が置かれた。母親が船越さんから頂いたのだ。急に部屋全体が画家や彫刻家のアトリエのような雰囲気に激変した。いや、家全体から安っぽい生活臭が消えてしまったのだ。以後、母親は応接間に天井まである本棚を設置したり、天井のライトをやめてフロアスタンドに変えた。驚いたことに、小説家の道を目指すようになったのである。部屋が生き方にまで影響を及ぼしたのだ。
もうこの家は存在しない。私が今住んでいる家には平凡な木造でニッチがない。昔の写真を見た私の子供が「可愛い、こんな家に住みたい」と言った。「夢の中にはまだ家はあるんだけど親子でも同じ夢は見れないから残念」と私は答えた。
H29.10