春が来ました・書斎の壁紙の話

2021年04月07日

 広瀬川の流れを覗き込むように咲いていた桜の花は、今年は3月28日ごろに見頃を迎えましたが、これを書いている今にもあっという間に花びらを散らし、葉桜に変わりつつあります。

 コロナ禍の余波で、例年のような賑わいを見ることは難しいものの、桜は変わらず咲くということに前向きな気分をわけてもらいました。

 

 日本の春は、3回に分けてやってくると言われています。

 冬至を過ぎて日が長くなってきた頃、まず「光の春」がやってきます。次に雪解け水が流れ込む川のせせらぎや、鳥のさえずりが聴こえるようになって「音の春」が感じられます。そうして暫くの三寒四温ののち、やっと日々に穏やかな暖かさを感じるようになってくる。それが「気温の春」であり、その頃には本格的な春の到来が感ぜられる、ということです。

 多忙な時期に、ともすれば見落としがちなちいさな春の訪れをつぶさに歓迎するような、素敵な表現だなあといつも思います。

 

 さて、そんな春を迎えた前橋文学館では、かねてより計画していた、萩原朔太郎記念館の壁紙の再現と施工を行いました。

 

 

 三島由紀夫が自らの邸宅をロココ調に設えたように、朔太郎はこの頃セセッション式の建築に強い興味を示して、設計に汲み込みました。

 セセッション式をかなりざっくり言うと、19世紀末に保守的な工芸からの脱却を図って立ち上げられた三つの分離派のうち、クリムトをはじめとしたウィーン分離派の作品に見られる、幾何学的な意匠を取り入れた様式です。アール・ヌーヴォーから影響を受けており、日本においては大正時代初期にモダンな建築様式のひとつとして関心を集めました。

 

朔太郎がセセッション様式の意匠をあしらった家具たち(展示室)

 

 朔太郎が1914(大正3)年1月1日から2月6日までのごく短期間に書いていた日記を紐解くと、この書斎の完成に心躍らせていたことがわかります。

 

一月八日

 新らしい室の出来上る日を一日千秋の思ひで待つて居る。十日には窓かけ(﹅﹅)が完備する筈である。来月からは完美した室に住むことが出来る。この部屋の出来るのを待つのは春を待つ心である。

 春、春、春、こんなにして春を待つわが心のいぢらしさよ。

 

 

 他にも、リンネル(窓掛け)が気に入らなかった朔太郎は、再度デパートから取り寄せるなど、書斎改造にあたって熱心にトータルコーディネートしたことなども記されており、壁紙もまたそのひとつであると考えられます。

 この壁紙は、長いこと書斎の壁面に額装して掛けられていた当時の壁紙の断片を参考に再現したものです。

 

写真中央より左上に配置

 

 朔太郎待望の書斎は、1914(大正3) 年1月27日にいよいよ竣工します。

 詩人が32歳で上梓した第一詩集『月に吠える』や第二詩集『青猫』の原稿は、ここで執筆されました。また、ときには朔太郎が窓辺に腰掛けてマンドリンを爪弾く姿が目撃されたといいます。

 

 のちに朔太郎は、自身の生活や正直な所感を綴った随筆集『廊下と室房』内の中で、以下のように書斎を位置付けています。

 

僕の如く、家族の多い家では、第一に先づ室房が、一つ一つ独立した壁と鍵とによつて区画されねばならないし、何よりも先づ、瞑想に適するところの、暗い城塞のやうな書斎が無ければならない。

※1

 

 同書が出版されたのは1936(昭和11)年。世田谷区の、これもまた手ずから設計を行ったとんがり屋根の新築に移り住んでから書かれたものであるという背景の違いは無視できませんが、朔太郎が考える個室観、書斎観というものは充分に伺えると考えます。

 こだわり抜かれた瀟洒な空間は、朔太郎にとって充分に、孤独な要塞の役割を果たしたのではないでしょうか。

 

 また一歩往時をより偲ばせる趣に近づき、新たに生まれ変わった書斎を、ぜひご覧いただければと思います。

 

 

※1『廊下と室房』(第一書房 1936年)収載「日本の家」より

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