佐藤惣之助生誕130年!

2020年12月13日

 去る12月3日は、当館にて開催しておりました「夢よ、氷の火ともなれ―佐藤惣之助生誕130年記念展」でとりあげた、詩人佐藤惣之助の誕生日でした。

 のちに詩人として、萩原朔太郎に「室生犀星と双璧をなす」と言わしめ、流行歌の作詞者として西城八十とともに活躍することになった“佐藤惣之助”は、どんな人物だったのでしょうか?

 母うめ(むめ)は、惣之助の幼少時代について、次のように記しています。

 

 

 惣之助は赤ん坊から幼児にかけて別に大きな病気もしませんでしたので、育てる母としては楽の方でした。それに当時家には曾祖母、祖母など女の手が十分でしたので、曾祖母、祖母には「惣ちやん惣ちやん」といつて随分可愛がられ過ぎた程でした。あの子はかうした家庭に育つたところから、幾分神経質の傾向がありました。従つて癪の強い子ともいふのでせう。

 三歳になつてから釣を覚えたので、いつも曾祖母が一緒に連れて、自宅裏の小川に釣にゆきました。そして鮒、タナゴ、鰕(えび)などを釣りあげてゐました。とれますと喜んで一々家の人たちに自慢さうにみせました。その餌は曾祖母がいつも御飯粒に糠を混ぜてこしらえてやつたものでした。昔から「三つ児の魂百までも」といひますが、あの子は到々死ぬまで、釣とは縁が切れませんでした。四歳の時でした、曾祖母、祖母が毎日あの子にせがまれるので百人一首を読んでやるうち、到々全部の歌を丸暗記してしまひました。

(中略)

 五、六歳頃になると蒐集癖といひませうか、玩具等も同じものを多く集めるのが楽しみでありました。ネツキ、独楽などを始め、近所の子供たちを集めて遊ぶ神楽舞のお面なども沢山ありました。

 小学校へ上るやうになつても温順な子でしたから、他の子供と喧嘩したり、学校で乱暴するやうなことなどありませんでした。尋常科(当時四年制度)の卒業式には全学童の代表として答辞したのです。従つて成績はいつも優等でありました。

(佐藤うめ「惣之助の幼い頃」、潮田武雄編『佐藤惣之助覚え帖』櫻井書店、1943年より)

 

 

 惣之助は自身でも「三歳で釣をはじめた」というほどの釣好きでありましたが、母親の目からみても「縁が切れない」納得の釣り好きだったのですね。生涯切っても切れないほど、生活のなかにあった「釣り」ですが、友人や仲間たちには単純な趣味としてだけでなく、別の理由があると感じられたようです。

 

 

 明朗な一面に淋しがり屋の性格もあつたやうだ。君の「釣」は君の世俗的楽天主義からの逃避でもあつたし、またその孤独感を自ら慰める手段であつたかもしれない。

(川路柳虹「佐藤惣之助君を憶ふ」潮田武雄編『佐藤惣之助覚え帖』櫻井書店、1943年より)

 

朝早く起きて自分で弁当をこさえ、終日うきを見つめて暮らした彼の人の境遇は、私にどこまでも似ていた。そして孤独な人生を釣りにまぎらして死んでいった。

(古賀政男「佐藤惣之助さん」『自伝 わが心の歌』新装増補版、展望社、2007年より)

 

 

 また、小さなころから、おだやかな性格であったこというのは、惣之助が亡くなったあとも、仲間たちやあまり面識のないような文学者たちもが人柄に優れた人物であったと語っていることからもわかります。

 

 さて、企画展「夢よ、氷の火ともなれ―佐藤惣之助生誕130年記念展」は終了しましたが、多くの皆さんに佐藤惣之助について知っていただきたいと思い、当館の公式youtubeにて、惣之助作の劇作をリーディングシアター(朗読劇)に仕立てたものと、佐藤惣之助没後に彼の同人たちによって編まれた『佐藤惣之助覚え帖』より抜粋したエピソードの朗読動画を公開しています。

こちらもぜひご覧ください。

 

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