朔太郎と惣之助②
2020年05月16日
~惣之助君の為に~
朔太郎展示室(常設展示室)にて、朔太郎自筆の短冊(写真①)を展示しています。実はこれ、惣之助にあてたものなのです。
短冊の背面(写真②)をみてみると、朔太郎のあの独特の文字で、「佐藤惣之助君の為に 照和三年二月」※と書かれています。
この短冊に書かれたのは「虚無の鴉」*という詩の最初の一行だということがわかります。
この詩が発表されたのは、記録によれば昭和4(1929)年10月のはず。
裏書を素直に信じるならば、この詩はすでに昭和3(1928)年2月には創られていたことになり、誰よりもはやく惣之助がその詩の始まりを眼にしていたということになります…!
晩年、惣之助は歌謡曲の作詞を手がけ、とりわけ作曲家の古賀政男とコンビ**を組むことが多く、数々のヒット曲を世に送り出しました。
朔太郎は、古賀の楽曲を好んで聞いており、マンドリンで演奏などもしていたようです***。
古賀と朔太郎の間には交流がありましたが、そのきっかけとなったのが、惣之助でした****。
今年は、佐藤惣之助の生誕130年にあたります。
前橋文学館では、「夢よ、氷の火ともなれ―佐藤惣之助生誕130年記念展」の開催を予定しています。
ご来館の際は、ぜひ朔太郎展示室の短冊もご覧になってください!
開催日程が決定次第、公式HPにてお知らせいたします。
※原文ママ記載。「照」は「昭」の誤り。
*「虚無の鴉」萩原朔太郎
我れはもと虚無の鴉
かの高き冬至の屋根に口を開けて
風見の如くに咆號せむ。
季節に認識ありやなしや
我れのもたざるものは一切なり。
『氷島』昭和9(1934)年(第一書房刊)所収
(初出『現代詩人全集』昭和4(1929)年10月、新潮社)
**「男の純情」「青い背広で」「人生の並木路」などが特に有名。
***萩原葉子「晩年の父」『父・萩原朔太郎』筑摩書房、1959(昭和34)年より
****「朔太郎さんを知るようになったのは、わたしと長年コンビを組ませてもらった佐藤惣之助さんと義兄弟だったことからである。」(古賀政男「萩原朔太郎さん」『自伝 わが心の歌』展望社、2001年より)