「ヒツクリコ ガツクリコ」展のもとになった詩

2017年12月26日

 10月20日よりアーツ前橋と共同でお送りしている企画展「ヒツクリコ ガツクリコ ことばの生まれる場所」の会期も残すところあとわずかとなりました。現在展示中である、本展タイトルの元となった詩のノートはもうご覧になって頂けたでしょうか?

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 「ヒツクリコ ガツクリコ」というのは酔った詩人が前橋の街を歩いていく様子を表した擬態語で、独特の響きを持っています。こちらは、未発表詩篇などが収録された『萩原朔太郎全集』第3巻(筑摩書房)中に収められた詩篇ですが、同じく『萩原朔太郎全集』第12巻に収録された「ノート一」の記述によると、朔太郎は雑誌「侏儒(こびと)」1月号にこの詩を寄稿したと書いています。

 

(前略)

 侏儒一月号の詩稿一篇同封しておきました。

 流石、のんだくれの探偵詩人プロテヤ氏が肉身ランヱの疾患の極に達してニカハをふみつけたので、霊肉共に憔悴困惑して居るところを侏儒の諸君と前橋の市民等がエノ木マチの一角で指さし嘲笑して居る光景です。題を「夕やけの路」としました。悲惨なる頽廃、デカダン行路の象徴です。

 

 「のんだくれの探偵詩人プロテア」とは、1913年公開のフランス連続映画「プロテア」の主人公である女探偵プロテアに影響されて、朔太郎が名乗っていた名です。映画は同年12月1日に日本で初公開され、朔太郎は1914(大正3)年7月に観に行き、犀星とともに熱狂しました。

 「侏儒(こびと)」(侏儒社)とは1914(大正3)年8月に前橋で発行され、1915(大正4)年に終刊した詩歌雑誌で、誌名は朔太郎が命名しました。朔太郎のもとに集った若い歌人たちが中心となって刊行され、朔太郎は指導者的な立場であったといいます。同人は北原放二、木下謙吉、金井津根吉、河原侃二、梅沢英之助、奈良宇太治、倉田健次ら。ほかに北原白秋、室生犀星、山村暮鳥、前田夕暮、尾山篤二郎らも作品を発表しています。このように充実した執筆陣と内容で、群馬の近代詩歌における先駆的な役割を果たしました。編集発行人は梅沢英之助で、「ノート一」の中にも「梅沢君」の名前が見られます。

 酔っ払いの上に膠を踏みつけて、危うい足どりで町を歩いていく描写からは、朔太郎流のニヒルなユーモアとリズムを感じますね。

 

 会期終了も差し迫った中ではありますが、前橋文学館は12月27日より1月4日まで休館とさせて頂きますのでご来館の際はお気を付けください。皆様、よいお年を!

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