一部展示替えを行いました

2017年12月22日

 12月16日より常設展の一部を展示替えし、新たに発見された朔太郎の2つの書簡を展示いたしました。歌人であり詩人の正富汪洋宛のこちらの書簡は、当時の詩壇への朔太郎の認識と熱意が鮮明に見て取れる貴重な資料となっています。

 正富汪洋は1881(明治14)年生まれ。車前草社同人として詩、短歌に活躍しました。詩作は生涯にわたり、同郷の詩人であり呉文学者の矢野峰人をして「奔放のうち脱俗の趣あり、哲人的風格を帯ぶ」と評される自由な詩風で大正中期から多くの詩集を刊行。晩年は日本詩人クラブの発展に尽くしました。没後、1969(昭和44)年には木犀書房から『正富汪洋全詩集』が刊行されています。

 

 朔太郎は1918(大正7)年3月に発刊された正富汪洋主宰の新雑誌「新進詩人」の発展が既存の詩壇のありかたに一石を投じるものとして大きな期待を寄せており、同誌に散文「詩の概念」を寄稿しました。この手紙の中でも汪洋を称賛し、「できるだけの御手つだひをさせていただきたいと思ひます」「あなたの花々しい奮闘を私は心から期待してゐます」とエールを送っています。この頃の朔太郎は前年の1917(大正6)年2月に刊行した詩集『月に吠える』が認められていた時期で、意気軒昂とした様子がうかがえます。

 また朔太郎が手紙の中で「お根性」という、意地が悪いことを指して言う群馬県の方言を使用しているのも大変興味深いかと思います。この機会に、ぜひ間近で現物をご覧ください。

 

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