特別館長の言葉

2023年06月10日 フットノート−吉増剛造による吉増剛造による吉増剛造】ごあいさつ

 常に、詩人の優れた感覚、感性は、時代の先端、進む方向性を掴みとっている。一人の詩人の詩業を探索すると、時代の空気とその先を知ることになるのだ。吉増剛造展は、個人の仕事から時代へと流れる激流を目撃する事になるだろう。

 吉増剛造さんの事を、私はいつも極北の詩人と勝手に命名している。先端を走り一度も止まらず突き進む。最近の仕事は、ついに冊子本から飛び出して、印刷不可能な、書くというライブを見せるような世界に突入している。 誰も到達しなかった地平に一人佇んでいるのだ。本展は、そんな厳しく優しい詩人の仕事の一端を展示とパフォーマンスにより展開している。展示もライブしているのだ。目撃して楽しんでいただければ幸いである。

2023年03月04日 【世界が魔女の森になるまで ー 第30回萩原朔太郎賞受賞者 川口晴美】ごあいさつ

  今年で30年を迎えた萩原朔太郎賞の受賞作が、川口晴美さんの詩集『やがて魔女の森になる』に決まりました。川口晴美さんの14冊目の詩集です。前橋文学館では、今年も受賞を記念して受賞者展を開催します。受賞作品がそれぞれ個性的であるように、文学館も毎回展示方法に工夫を凝らして空間を創作してきました。ある時は、灯台をつくり回転するライトによって詩を浮かび上がらせたり、またある時は、巨大な詩集を設置して、耳を付けると詩人の朗読する声が聞こえるようにしました。

 さて、今回はどんな仕掛けにしようかと、スタッフが全員が知恵を出し合いました。川口さんの詩は、フィクションとして作り上げるタイプや、現実の問題を取り上げたもの、シスターフッドをテーマに取り組んだもの、あるいはまるで他人に乗り移ってしまったかのような語り口などさまざまですが、読み進めると明らかにひとつの方向が浮かび上がってくる。それが魔女の森に向かっているのか、言葉の森に向かっているのか。ぜひ、詩集を読み、展示を体験し、それぞれの答えを楽しんでいただけると嬉しいです。

2023年03月04日 【歴代萩原朔太郎賞受賞作展】ごあいさつ

 今回の展示は、歴代受賞詩人の皆さんに、前橋文学館に帰って来てもらうことだ。 というのは、萩原朔太郎賞は、受賞者展を毎回前橋文学館で行なってきたからだ。 生家で帰りを待つ親のような気持ちが、この企画展示の底に流れているのだ。

   「詩人は詩を読んでもらう事で生き続ける」

 と、那珂太郎さんが言っていた。 展示する事で詩を甦らせ、思い出を立ち上がらせ、詩の未来を展望する。

 そして、受賞した詩の当時を探り、受賞した詩の現在に想いを馳せる。 さらに、萩原朔太郎賞の歴史は詩の歴史の中でどのような役割りを担ってきたのだろうか。そんなことも感じられたらありがたい。30年という道のりを辿ることで、さまざまなテーマが浮き彫りになる展示になればいいと思っている。

    お帰りなさい。

    そして、いってらっしゃい。

 前橋文学館は、これからもずっと、詩の故郷のような存在であり続けたいと思っている。

2022年11月01日 【ふだん着の詩集、よそゆきの詩集-萩原朔太郎著作展】ごあいさつ

 書籍も、よそゆきの衣装を着ていたり、ふだん着のままの場合があるだろう。時には、作業着や寝巻きをまとうケースがあるかも知れない。
 一冊の本との出逢いは、まず纏っている衣装のデザインを目撃することからスタートする。問題はその後の付き合いかただ。不思議なことが起きる場合があるのだ。読んでいくうちデザインと内容とが一体となって、実はデザインも内容の一部だったことに気付くのだ

 本展は書籍とデザインの関係をテーマにしたものだ。とくに、一冊の本が再販される時、デザインが変化することに着目し、その変容が一体なにを表しているのかを考察したものである。そのユニークな視座は、近代文学研究者の川島幸希先生からご教授いただいたものだ。展示されている資料も、川島先生が長い間探し求め続けている資料収集の一端を公開させていだだいたものである。一冊の本の変遷を知ることで、作者の作品や装丁に対する姿勢や考え方、美意識、感受性、価値観、さらには、時代の風潮などが浮き彫りにされてくる。その謎解きのような面白さを味わっていただきたいと思う。

 尚、川島先生には、『月に吠える』初版無削除本の寄贈から始まって、今回も貴重な資料提供、初版本の公開など多大な援助をいただき感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 本展を体験する事で、文字列表現に止まらない書籍のもう一つの魅力を味わっていただけたら幸いです。

2022年11月01日 【すべのものをすてて、わたしはよみがへる。-大手拓次展】ごあいさつ

詩人、というのは肩書きではなく、一つのライフスタイルのことではないだろうか。表現することだけに人生を使い切る。そういう人を詩人と呼ぶのだ。
 大手拓次の短い生涯を辿っていくと、まさに人生を表現に使い切ったとしか言いようのない詩人像が浮かび上がる。46年間を鮮明に彩っているのは、研ぎ澄まされた感性から生まれる繊細な文字列表現だ。詩人という生き方を選んだ者だけが成し得る仕事ではないだろうか。
 生前詩集は刊行されなかった。
 生涯独身であった。
 常に病苦に悩まされた。
 きちんと会社員を務めた。
 それらのことに、表現がまったく侵食されてはいない。そのことが詩人というライフスタイルを貫いた素晴らしさを感じさせるのである。
 今回の展示は、薔薇の詩人と呼ばれる拓次の会社員としての活動、現代でいえばコピーライターの仕事にも着目してみた。
 コロナ、戦争、災害、事故、自死など、未来に希望を持てない時代の雰囲気にあって、常に死と向き合っていた拓次の強さを秘めた繊細な感性、豊かな言語表現と出会うことで、少しでも明るい気分を取り戻していただければと、願っています。

2022年10月15日 【見よ、友情の翼、高く飛べるを 啄木鳥探偵処展】ごあいさつ

原作があって、それをもとにして映画化、漫画化、アニメ化する場合、いかに原作を生かしつつ、原作を越えるかという難しい作業になるだろう。相手を生かし、かつまた自分を生かす仕事。

 アニメ「啄木鳥探偵處」には、多分そのような難事業が幾つも折り重なっている。実在した人物を作家が翻訳、その翻訳を映像に翻訳、役者は声に翻訳する。そんな幾つもの翻訳を通過したものがテレビで放映されたのだ。朔太郎の変容は、この翻訳という表現によるイメージの答えである。

 だから、今回の展示は言わば折り重なった翻訳という表現がどのような光りを放ったかを楽しむことが、テーマではないだろうか。

 企画実現に際して多くの方々に御協力していただいた。感謝申し上げたい。ありがとうございました。楽しんでいただけたら幸いです。

2022年10月01日 【そこに何をみたか 朔太郎研究会歴代会長展】ごあいさつ

 歴代、文学者が研究会の会長を務めているという、極めてユニークなのが萩原朔太郎研究会だ。しかも、歴代の会長のお一人お一人がそれぞれ全国の文学館で企画展示を開催する業績の持ち主である事が最大の特徴だろう。

 今回は、言わば、これから企画個展を開催するイントロのような、予告編のようなものと考えて頂ければいいと思う。お一人お一人の膨大な仕事の目次に近づく。それが本展のテーマなのである。  

 「萩原朔太郎大全2022」のファンファーレを、この朔太郎研究会歴代会長展に感じていただければ幸いです。

2021年10月09日 【ああ これはなんという美しい憂鬱だろう ムットーニのからくり文学館】ごあいさつ

「ムットーニング」

 文学と音楽の世界を人形カラクリに翻訳する。イメージを物質に変換させる。それがムットーニ作品である。まるで神の領域だ。だからかどうか、ムットーニ作品を観ていると、自分が空から下界を窃視しているような奇妙な感覚に襲われる。艶かしいのだ。どの作品にも、生の実相が潜んでいるのである。

 しかも、その艶かしさの底辺にユーモアが隠蔽されている。神の領域から眺めればあらゆる出来事は喜劇である。ムットーニが愛されるのは、人形の繊細な動き、微妙なライティング、ツイストエンディング的な展開、シュールな舞台美術に通底する喜劇性にあるのだ。

 今回は、朔太郎の世界を表現した新作が加わった。今までにないマルチな構成で楽しませてくれる。ムットーニ王国へのツアーを、ゆっくりと堪能して頂ければ幸いです。

2021年06月19日 【さくたろういきものずかん  朔太郎の世界を闊歩する生物たち】ごあいさつ

  地球に生息している生き物は、ざっと八百七十万種いるのだそうだ。もちろん、調べられないから実数は分からない。深海など調査は難しそうだ。

 地球に限らない。人間の身体の中にどれだけの生き物がいるのか、カウントするのも難しそうだ。腸の中だけでも百兆匹の生物がいるという。人間は沢山の生き物たちと共存して生きているというわけだ。

 そんな仲間の生き物を、詩人はどのように見てどのように表現しているのだろうか。

 朔太郎の第一詩集『月に吠える』には、鼠、亀、雲雀、犬、蛙、鵞鳥、蛤、浅利、みじんこ、バクテリア、猫など二十以上の生き物が登場する。それらの生き物を列記してみると、詩人が詩というものをどのように捉えていたかが炙り出されてくる。詩の中では、生き物が実態を離れて別の何かに変容するのだ。犬が犬ではなく心模様に、猫が病名に変身する。言わば、詩人は言葉と意味を引き離し、言葉の能力の裾野を広げる作業をしているのである。ボードレールの「詩はただ詩のための表現である」というのはそのことを言っているのだろう。詩人にとって、言葉は手段ではなく目的なのだ。

 本展は朔太郎コンコルダンスの入り口に立って、まず「生き物」を手始めに試みたものだ。大人は意味の世界から、こどもはゲームとイメージの世界から入場して、詩人と生き物との関係を楽しんでいただけたら幸いです。

2021年02月20日 【ひらめきときめきどきどききらり 木暮正夫展】ごあいさつ

 あらゆる作品は、時代状況によって、その色合を変化させるものです。時代と並走したり、時代と対立したり、あるいは融合したりと、作品はその時々の状況によってさまざまな表情を見せるものです。

 木暮正夫の作品はどうでしょうか。

 そうです。木暮正夫の作品は明らかに変容しています。政治、経済、文化や宗教の対立が深まりつつある現在、作品が保有する大切な思いが再浮上しています。思い込みを疑い、異形を排斥せず、他者を信じることで未来を夢見る。そんな作品の依拠する故郷を、私たちは今こそ訪ねなければならないのかも知れません。私たちは、希望が一度も死滅したことのない土地の住人なのです。

 難解なことをやさしく、やさしいことをユーモアに変える。そんな木暮正夫の創作の遊園地を、大人は子どものように、子どもは大人のように楽しんでいただけたら幸いです。

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