萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館

前橋文学館

館長の言葉

2018年06月15日 館長の言葉16

「言葉は存在の住居」だとしたら、図書館、文学館は住居を支える大地である。

2018年06月15日 館長の言葉15

人類が発明した最良のものは言葉と映像。
その二つと戯れる場所が前橋文学館。

2018年06月15日 館長の言葉14

 前橋文学館は、文字が書かれた紙をガラスケースに入れて展示するだけではなく、声によって空気を震わせ、鼓膜を震わせ、心を震わせることも展示だと考えている。「黙読は意味が伝わる。音読は魂が伝わる。」のだ。

2018年06月15日 館長の言葉13

勇気と夢を後押しする赤城山
鍛錬を与えてくれる空っ風
思い出を呼び覚ます広瀬川
人生と並走する文学館

2018年06月15日 館長の言葉12

 「ピクルスはキュウリには戻らない」
そのことを、前橋文学館は子供たちに伝える義務がある。

2018年06月15日 館長の言葉11

面白いから入館者が増えたのではない。
入館者が増えたから、面白いのである。

2018年06月15日 館長の言葉10

 歌うことと話すこと、描くことと書くことは、一体いつから別れてしまったのだろう。前橋文学館が、この離れ離れになったものを、引き合わせる場所でありたいと思う。

2017年12月31日 祖父祖母との出逢い

 「葉子さんと、この店でカラオケした」

 わたしが文学館に通うようになってからもうすぐ二年。その間母親の話題が何度もあった。皆さんとても懐かしいそうに話してくれた。橋の上で若いダンサーと踊る母。深夜のスナックで少女のようにはしゃぐ母。わたしの知らない母親がそこにいて面白かった。

 祖父の話は二度聞いた。祖父と学校が同期だった人のお孫さんから、「おとなしくて礼儀正しい人だった」という話と、散歩している時に出逢った人は、「なにか考え事でもしているのか、うつむき加減だった」ということだった。

 東京でも、一度だけ聞いたことがある。明治大学で祖父の授業を取っていた人の、やはりお孫さんからだ。

 「先生の文学の講義は難しくてよく分からなかったけれど、講義が終わるととても優しい先生だった」という話だった。

 わたしの知らない祖父の実像が浮かんできて身近な存在に思えるから不思議である。

 当たり前だけれど、祖父と離婚した祖母の話は誰からも聞かなかった。子供を捨てた悪女というイメージだから仕方がない。誰か少しでも聞いたことのある人はいないものなのだろうか。

 祖母は孫の私を猫可愛がりした。札幌に住んでいた祖母が東京に引っ越しして来たのは、わたしが小学生の時だった。どんな事情があったのかは分からない。年下の人と結婚していて、子供はいなかった。その年下のおじさんは、働いていなかった。札幌で大きなお屋敷に住んでいて家政婦さんが二人もいたから、きっとお金持ちだったのだろう。わたしはこのおじさんから、写真の面白さを教えてもらった。

 祖母はその後、このおじさんとも離婚して、何年間か一人暮らしをしていたけれど、やがて梅が丘の家に同居することになった。この時の話はいずれ書きたいと思っている。わたしは自分の母親と父親については本を書いた。祖父、祖母については未だ書いていない。そのために、何か知っている人と前橋で出逢う日を楽しみにしているのである。

 

 

 

(「前橋文学館友の会会報」第24号 寄稿 H29.12)

2017年11月21日 館長の言葉09

過去や未来に思いを馳せるのは人間だけだ。

前橋文学館は、その思いを育む親になりたい。

2017年11月21日 館長の言葉08

前橋文学館は楽しいところではない。

楽しむところである。

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休館日

水曜日・年末年始
(祝日の場合はその翌日)

観覧時間

午前9時-午後5時

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