前橋文学館ブログ

2020年06月06日 紫陽花が咲き始めました

 いよいよ梅雨が来ます。

広瀬川河畔の緑もいよいよ深く鮮やかになり、夏の日差しに紫陽花の蕾がほころび始めました。

文学館前の朔太郎さんも色鮮やかに早咲きした紫陽花に囲まれ、心なし和やかに映ります。

 

 さて、本日6月6日は「恐怖の日」なんだそうです。

新約聖書「ヨハネの黙示録」より「獣の数字」という一節にちなんで、記念日に制定されました。

 

“また凡ての人をして、大小・貧富・自主・奴隷の別なく、或はその右の手、あるいは其の額に徴章を受けしむ。この徴章を有たぬ凡ての者に売買することを得ざらしめたり。その徴章は獣の名、もしくは其の名の数字なり。知慧は茲にあり、心にある者は獣の数字を算へよ。獣の数字は人の数字にして、その数字は六百六十六なり。”

 

 この一節はホラー映画「オーメン」の数字の元ネタともなっているそうです。

 

 そして、恐怖といえば!

 

 前橋文学館3階オープンギャラリーにて、前橋市出身でホラーエンタテインメント映画界の巨匠である清水崇監督の展覧会を開催中です。

 会場内では、少年時代の手作りの品々、仕事での愛用品の数々、過去作品のポスター、シナリオ台本、および予告編映像、貴重なインタビュー映像、企画展のための描き下ろしイラスト、最新作「犬鳴村」にまつわる資料など、現在に至るまでの監督のルーツに触れることが出来ます。

 ホラーを中心としつつも、スリラーやファンタジー、コメディ、SFなど、枠にとらわれず幅広い作風で挑戦し続けていく清水監督の歩みにぜひ注目していただければと思います。

 

 「怖いを愛する-映画監督・清水崇の世界展」は、6月30日(火)までの開催予定となっております。

じんわりと増す暑さを吹き飛ばすためにも、ホラーに親しんでみてはいかがでしょうか。

 

(撮影:木暮伸也)

2020年06月03日 麦秋至

 あっという間に6月に突入しました。緊急事態宣言が解除され、広瀬川の周辺も活気が少しだけ戻ってきたように思います。

 前橋文学館は6月1日(月)から臨時休館より再開いたしました。とはいえ予断を許さない状況下での開館ですので、閲覧できる展示品に制限がかかっていたり、完全予約制で入館者数も限らせていただいており、ご迷惑をおかけするかと思います。一日でも早く安心安全にお出かけができるようになることを祈っています。

 

 さて、二十四節気をより細分化した七十二候によれば、この時期は「麦秋至(むぎのときいたる)」といい、麦の収穫期にあたります。群馬県は麦作が盛んなこともあり、移動中に時折、麦秋を迎えざわめく麦畑を遠くに目にすることが出来ます。朔太郎の詩にも麦が登場する作品が多数ありますが、真っ先に思い描くものはやはり「天景」でしょうか。

 

 

天景

しづかにきしれ四輪馬車、

ほのかに海はあかるみて、

麦は遠きにながれたり、

しづかにきしれ四輪馬車。

光る魚鳥の天景を、

また窓青き建築を、

しづかにきしれ四輪馬車。

 

 萩原朔太郎は「詩の音楽作曲について」(萩原朔太郎全集(筑摩書房)第6巻所収の詩論)で、この詩について「初夏の明るい光に輝いた自然を、軽快な四輪馬車の幻想に表象して、一種の浪漫的なノスタルヂアを歌ったもので、徹底的に明朗爽快の詩」と解説しています。

 また、前橋出身の詩人であり同上全集の編者の一人である伊藤信吉は、麦畑が朔太郎にとって「明るさに満ち、心理の陰影や惑わしなどの出てくる余地がない、という意味」かと考察しています。

 

 夏の季語としても耳にする「麦秋」ですが、ほかにも麦にまつわる言葉は多くあり、例えばこの時期に吹き麦穂を揺らす風を「麦嵐」「麦風」や「麦の秋風」、この時期に降る特有の雨を「麦雨」と呼ぶなど、麦の存在が日本人の生活に密着した存在であったことがうかがえます。

 萩原朔太郎も、きっとどこかで照映する麦畑をまなざしに収めていたのでしょう。

 

2020年05月17日 朔太郎の好きだったもの。お酒と…

 

この収蔵写真(部分)には、お酒の席の朔太郎の姿が収められています。

朔太郎の長女、葉子さんが、父の晩酌の場面をこう回想しています

父はお膳に肘をついて、右手で不器用にお銚子を傾けては、ゆっくり飲むのだが、私を見るとたいてい「葉子、お酌してくれ」という。(中略)私は、仕方なく父の正面に坐ると、いきなり勢いよくお酒をこぼすほどに注いだ。すると、「葉子の注ぎかたはいつもへただなあ」と父は笑っていうのだった。(中略)どこからか、いつも父にと送られてくる好物の筋子の粕漬やふぐの粕漬、それになまこ、からすみ、ベーコン、じゅんさいなどをほんの少量箸をつけて、ゆっくりと時間をかけて飲んだ。
-萩原葉子「晩酌」 『父・萩原朔太郎』筑摩書房、1959(昭和34)年より

朔太郎は、お酒の共に、好きなカラスミやジュンサイなどをつまみながら、そのゆったりとしたひとときを大切にしていたのでしょうか。葉子さんに「お酌をしてほしい」と言い、笑いながら「下手だなあ」と言う。朔太郎の父としての思いも伝わってくるようでもあります。

2020年05月16日 朔太郎と惣之助②

~惣之助君の為に~

 

朔太郎展示室(常設展示室)にて、朔太郎自筆の短冊(写真①)を展示しています。実はこれ、惣之助にあてたものなのです。

短冊の背面(写真②)をみてみると、朔太郎のあの独特の文字で、「佐藤惣之助君の為に 照和三年二月」※と書かれています。

 

写真① 朔太郎自筆短冊

写真② 朔太郎自筆短冊裏書

 

この短冊に書かれたのは「虚無の鴉」*という詩の最初の一行だということがわかります。

この詩が発表されたのは、記録によれば昭和4(1929)年10月のはず。

裏書を素直に信じるならば、この詩はすでに昭和3(1928)年2月には創られていたことになり、誰よりもはやく惣之助がその詩の始まりを眼にしていたということになります…!

 

晩年、惣之助は歌謡曲の作詞を手がけ、とりわけ作曲家の古賀政男とコンビ**を組むことが多く、数々のヒット曲を世に送り出しました。

朔太郎は、古賀の楽曲を好んで聞いており、マンドリンで演奏などもしていたようです***。

古賀と朔太郎の間には交流がありましたが、そのきっかけとなったのが、惣之助でした****。

 

今年は、佐藤惣之助の生誕130年にあたります。

前橋文学館では、「夢よ、氷の火ともなれ―佐藤惣之助生誕130年記念展」の開催を予定しています。

ご来館の際は、ぜひ朔太郎展示室の短冊もご覧になってください!

開催日程が決定次第、公式HPにてお知らせいたします。

 

 

 

※原文ママ記載。「照」は「昭」の誤り。

*「虚無の鴉」萩原朔太郎

我れはもと虚無の鴉

かの高き冬至の屋根に口を開けて

風見の如くに咆號せむ。

季節に認識ありやなしや

我れのもたざるものは一切なり。

『氷島』昭和9(1934)年(第一書房刊)所収

(初出『現代詩人全集』昭和4(1929)年10月、新潮社)

**「男の純情」「青い背広で」「人生の並木路」などが特に有名。

***萩原葉子「晩年の父」『父・萩原朔太郎』筑摩書房、1959(昭和34)年より

****「朔太郎さんを知るようになったのは、わたしと長年コンビを組ませてもらった佐藤惣之助さんと義兄弟だったことからである。」(古賀政男「萩原朔太郎さん」『自伝 わが心の歌』展望社、2001年より)

2020年05月15日 朔太郎と惣之助①

いまから78年前の今日、5月15日、朔太郎とたったの4日違いのこの日に、この世を去った詩人がいます。

詩人・佐藤惣之助は、「赤城の子守唄」、「湖畔の宿」、「人生劇場」などの歌謡曲の作詞家でもあります。惣之助の詩を知らなくても、これらの楽曲を聴いたことがあるという方は、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。当時は作詞家として、惣之助は西城八十と双璧をなしたほどでした。

 

惣之助は、明るく朗らかな性格で誰にも好かれるタイプの人物でした。

朔太郎は、彼の才能を高く評価し、お互いに好印象を寄せていたことが、次の手紙から読み取れます。

 

「何といつ〔て〕も貴兄は、現詩檀(※)に於ける私の最上の知己であり、旦(※)つ最上の権威者でもあるから貴兄の一言は私にとつて非常に重いのです。」

「貴兄は太陽の如く僕は太陰の如しです。この点では全く我々は正反対の好対象です。そしてまたそれ故に、お互に対手の長所が眼につくのでせう。」

(1923(大正12)年2月上旬(推定) 佐藤惣之助宛 萩原朔太郎書簡より)

 

2人は仲がよく、のちに美人で有名であった末の妹・愛子*と惣之助が結婚し、朔太郎と惣之助は義兄弟となりました。

 

朔太郎が亡くなったとき、惣之助は友人として家族として、朔太郎の葬儀の一切を取り仕切りました。そして朔太郎について書いた文章が、惣之助の絶筆となりました**。

 

写真は、惣之助の最後の詩集となった『わたつみの歌』(1941(昭和16)年7月、ぐろりあ・そさえて)です。この詩集の装幀と題僉***は、朔太郎が手がけました。

 

五月を愛した朔太郎と惣之助****。

数奇なめぐりあわせで二人の詩人を喪った五月。

幸いなことに明日はお休みですね。酒好きだった彼等を想って、今夜は一献いかがでしょうか。

「酒はまだある」*****と。

 

佐藤惣之助の詩集『わたつみの歌』

『わたつみの歌』目次

『わたつみの歌』目次最終頁に「装幀題簽 萩原朔太郎」と書いてある

 

 

 

※原文ママ。

*佐藤惣之助との結婚当時は、「周子(かねこ)」と名乗っていた。

**佐藤惣之助「詩人萩原の死」、詩誌『四季』萩原朔太郎追悼号(昭和17年9月号)、四季社、1942(昭和17)年8月

***(だいせん)書物の題名・題字のこと。(『広辞苑』第七版参照)

****「五月」萩原朔太郎

私の大好きな五月

その五月が來ないうちに

死んでしまつたら

ほんの氣まぐれの心から

河へでも身を投げたら

もう死んでしまつたらどうしよう

私のすきな五月の來ないうちに

(萩原朔太郎「習作集第八巻(愛憐詩篇ノート)」『萩原朔太郎全集 第二巻』筑摩書房、1976(昭和51)年より)

 

昭和十七年(一九四二年)五月十五日脳溢血の発作後、僅か一時間の後に長逝した。彼はふだん良く戯談に「死なば五月」などと言つたが、それが旨く当つたのである。

(室生犀星「我が愛する詩人の伝記(佐藤惣之助)」『室生犀星全集 別巻二』新潮社、1968(昭和43)年より)

*****惣之助の著書に『酒はまだある』(春秋社、1927(昭和2)年)という随筆集がある。

2020年05月14日 朔太郎とタバコ

~朔太郎はチェーンスモーカー?!~

 

「父がタバコを手から離している時は、寝ているあいだだけだった。」*

 

後年、娘の葉子さんにこう回想されるほど、朔太郎は常にタバコを手放さなかったのでしょう。

晩年の朔太郎の写真にもやはり手にタバコらしきものが、、、**

朔太郎が愛煙していたのは「敷島」というタバコでした。このタバコ、実は高級煙草です。犀星の「詩人・萩原朔太郎」を読むと、大正3(1914)年に出会った当初からこのタバコを喫っていたことがわかります。

 

「ちょっとのんでは、すぐに灰にギュッと突っ込んでしまい、何か考えているときには、それがだんだん早くなるのだった。」*

 

詩を創るとき、批評を書くとき、詩人の傍らにはきっと、敷島が山盛りになった灰皿が置かれていたことでしょう。

こちらの灰皿は、朔太郎展示室(常設展)でいつでもご覧になれます。ご来館の際はぜひ注目してみてください!

 

朔太郎遺品灰皿(陶器製)

朔太郎遺品灰皿の模様部分

 

 

 

*萩原葉子「タバコとソフトのこと」『父・萩原朔太郎』筑摩書房、1959(昭和34)年より。

**筑摩書房版『萩原朔太郎全集』の第9巻と第11巻の口絵を参照。

※前橋文学館は現在臨時休館中です。開館の予定は公式HPのトップページの「お知らせ」欄をご確認ください。

 

2020年05月13日 犬の名は。

 5月13日は「愛犬の日」だそうです。

 突然ですが、あなたは犬派、猫派のどちらでしょうか?私は……決められません!しかしあえて言えば…やっぱり決められません!それぞれ違った魅力がありますよね(と、お茶を濁しておきます)。

 犬好きで知られる文豪といえば、川端康成や志賀直哉、菊池寛などが上がります。萩原朔太郎は、その作品に多く猫が登場することもあり、圧倒的猫派…と思いきや実は犬派で、犬を飼い続けました。東京に転居していた頃は、動物好きでご近所さんの詩人・室生犀星と連れ立って狂犬病予防注射に行ったこともあったことが犀星の日記に残っています。一方の猫もまた、朔太郎にとって詩情を与える動物として魅力的に存在し続けたようで、「猫」「ウォーソン夫人の黒猫」や「猫町」にも表されるような、憂鬱でミステリアスなイメージを持ち続けました。

 

 さて、写真を趣味としたことでも知られる朔太郎ですが、『萩原朔太郎撮影写真集 完全版』(みやま文庫 2009年)を見てみると、朔太郎が撮影した明子さん(朔太郎次女)と飼い犬の写真が4枚収録され、“犬の名は朔太郎が命名した「トコ」である”と書かれています。しかしこの「トコ」、資料になかなかその名前を確認することができないのです。

 

 「トコ」に代わり多く登場するのが「ノネ」という犬です。「ノネ」は「ノーネーム」という愛称のシェパードの雑種犬で、三好達治や萩原葉子による伝記、室生犀星の日記、犀星と朔太郎の書簡でのやりとりの中にも登場します。

 

 

「名のない犬」といふ萩原家の飼犬が、深夜の馬込の坂の上で一人酔漢になつた萩原をとらへ、くんくん鼻を鳴らして迎へに出るころは、萩原家の二階の電灯は消え、ダンスの会は終つてゐた。

室生犀星「詩人とその娘」より抜粋

 

 僕の所の犬ノネを主人公として、一扁(※)の小説を書き給へ。今の君の心境に於て、吃度面白く新傾向のものが書けるだろ(※)う。
 ノネは今朝また近所の大犬五疋を対手に乱闘して、遂に片耳を食ひ切られた、あはれむべし。

(※)部は傍点・付

萩原朔太郎室生犀星宛書簡より(1929年5月16日)

 

 「ノネ」について、萩原葉子の伝記『父・萩原朔太郎』によると「父も母も犬好きで、ノネというセパードを飼」っていたと書かれています。他にも三好達治が「ノネといふのはシェパード崩れの猛犬であつた」、室生犀星が「無性者の萩原までがセファードの交ざつたむく犬を飼つていて、猛烈に吼えるので容易に近づけなかつた位であつた」と記しており、これらは『萩原朔太郎撮影写真集 完全版』に登場するトコの特徴とは該当しません。

 「トコ」は朔太郎にとって、どういった犬だったのでしょうか?

 幻の(?)トコの謎には、これからも迫っていきたいと思います。

2020年05月12日 朔太郎忌のこと

 さわやかな五月の風が吹きぬけていく。そのまま橋を越え、広瀬川の碧の水面ををちらちらと舐めて、明るい交差点へと紛れていった。

 萩原朔太郎の詩にはほとんどの場合、陰鬱で退廃的な気配が付きまとうが、朔太郎その人は秋と同様に初夏のこの爽快をこそ好んでいたことが伝わっている。『月に吠える』に収められた〈五月の貴公子〉の頁を開けば、五月の風に誘われて、すまして草原を歩む彼の心持そのものが伝わってくるような気がする。時代そのものは移り変わっても、この初夏の印象はきっと変わっていないだろう、と思う。

 

 しかし変わったものもある。

 今年は新型コロナウイルスの蔓延にともない、多くの無念の犠牲が出、世の中そのものも沈黙せざるを得なくなった。そしてそんな中で果敢に戦っている人たちもいる。それぞれの生活が、こんなにもあっという間に侵食されてしまうものだと気付かされ、盤石だと思っていた足元が実は氷だったというようなぐらつきを感じた。

 前橋文学館も3月初めに休館を取り決め、開催中の展覧会やイベント、貸館事業の中止を行った。そうして、5月9日に開催予定であった朔太郎忌が取りやめとなった。

 

 本来であれば今年で48回目の開催と相成るはずだった朔太郎忌は、朔太郎の命日である毎年5月11日にほど近い土曜日に催されていた。

 催しは、萩原朔太郎研究会の発足に前後して1963年に第1回が執り行われた。また『萩原朔太郎研究会会報』第一号には、1964年の朔太郎忌の事業記録が残っている。これによれば、以下のようであったという。

 

 

(前略)会場の公民館は、元は臨江閣と呼ばれた記念的な建物で、前橋公園の一隅にあり、郷土望景詩にうたわれた「波宜亭」の跡に隣接して、朔太郎が音楽会を開いたりしたこともある、ゆかりの多い建物である。(中略)十一日午後、全行事終了後、東京方面の来賓全員、斎藤総彦氏、河原侃二氏を加え、地元在住の故詩人の妹方三人と実行委員有志が同乗して、市役所のバスで、敷島公園の詩碑をはじめ朔太郎郷土めぐりを行ない、恭次郎詩碑や、伊藤信吉氏の生家のそばの明神様にも訪れ、高崎駅まで行つて解散した(後略)

 

 

 当時の新聞を見た地元の人々の関心が高まって、「記念のつどい」には、約二五〇人という想定以上の人数が参加したという。

 東宮七男、伊藤信吉の言葉に始まり、村野四郎や那珂太郎らが「回想と所感」を語るほか、生前の朔太郎自身による詩の朗読、三好達治による講演録音の再生、朔太郎が主宰していたマンドリンクラブによる演奏など、充実したプログラムだった事がうかがえる。

 

 

 さて、第48回目となる朔太郎忌のテーマは、昨年に連載を完結した清家雪子氏作のコミックス作品『月に吠えらんねえ』にフィーチャーした「月に吠えらんねえ in 前橋」と題して、同作収録のエピソードを再編集した脚本によるリーディングシアターや、作者と松浦寿輝氏を招聘して対談を行うものであったが、これらの企画は来年度へと繰り越しになる予定だ。リブート作品が連載中でファンも多いだけに、同テーマを楽しみにしていた人も多いだろうと思う。今から来年が待ち遠しい。

 

 来年。

 来年はどうなっているだろう。漠然とした不安がないでもないけれど、あたたかい屋外ではそれもいったん和らぐから不思議だ。このところ、急に日差しが高くなった。また風が吹いてくる。群馬は強風が風物詩でもあったな、と思い至る。この風が悪いことを何もかも彼方へさらってしまえばいいと思う。今はただただ事態の終息を待っている。

 

2020年05月11日 今日は朔太郎忌

今日、5月11日は萩原朔太郎の命日です。前橋文学館では毎年この時期「朔太郎忌」としてイベントを開催していますが、今年は残念ながらかないませんでした。朔太郎を偲び、今週は、朔太郎にまつわるお話をいくつかアップします!

お洒落だった朔太郎。若き日は徹底した洋風趣味で、洋装を好みましたが、後年は和服が多かったようです。2 枚めの写真は昨年、前橋市在住の所縁のある方よりご寄贈いただいた朔太郎の着物です。以前、朔太郎の妹愛子さんから贈られたものだそうです。今回特別に着付を行なってみました。細身だった朔太郎を彷彿とさせます。いずれ皆様にご覧いただく機会をと考えています。

 

2020年01月19日 博物館実習について

 令和2年度博物館実習について、前橋文学館では5名実習生を受け入れます。募集期間は令和2年2月3日から令和2年4月30日まで、希望者本人が当館へお電話にてお申し込みください。実施期間は令和2年10月中を予定しております。詳細は実施要項をご確認ください。

【令和2年2月5日追記】

  令和2年2月3日より募集しておりました博物館実習につきましては、定員に達しましたので、受付を終了させていただきます。令和3年度の募集につきましては、令和3年1~2月頃掲載予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

 

▲TOP