萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館

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2017年06月18日 広瀬川周辺の紫陽花が見ごろを迎えています。

 梅雨入りしてしばらくが経ちました。文学館前の紫陽花も競うように見ごろを迎え、広瀬川周辺を彩っています。紫陽花と言えばやはり、朔太郎の「こころ」を思わずにはいられません。

 

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こころ

 

こころをばなににたとへん

こころはあぢさゐの花

ももいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生のふきあげ

音なき音のあゆむひびきに

こころはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかひなしや

ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言ふことなければ

わがこころはいつもかくさびしきなり。

 

 紫陽花は七色に変化するといいます。

 そんな紫陽花の変化に注目する朔太郎の視点の細やかさと繊細さがうかがえますね。

 前橋中心市街地および周辺地域では、紫陽花の開花に伴って「まえばし紫陽花フェスティバル」が実施されており、文学館周辺でも以下のように紫陽花にちなんだ様々なイベントが目白押しです。
①6月18日には「まえばし紫陽花美人撮影会」が文学館前朔太郎橋上で行われ、②6月30日には朔太郎の詩に関連した曲も演奏される「紫陽花音楽会」が当館3階ホールを会場に開催、③7月7日~7月9日には「前橋まちなか紫陽花写真コンテスト」の入賞者の作品が当館1階にて展示されます。

 

 心躍る6月。朔太郎も愛した色とりどりの紫陽花を楽しみながら広瀬川沿いにお出かけになってみてはいかがでしょうか。

あじさいフェスティバル 紫陽花フェス02  

2017年06月02日 若山牧水が来橋した日

 今から98年前の大正8年6月2日、上州の旅の途中であった若山牧水が、ふと思い立ち前橋の朔太郎のもとを訪れました。

 

 朔太郎と牧水の交流は、大正3年に上京した朔太郎が牧水の家を訪ねたことに端を発します。

 牧水が創刊した「創作」は、当時全文壇の注目を集めた文芸雑誌でした。そんな「創作」に大正2年から作品が掲載されるようになった朔太郎は、翌年10月に上京し、牧水の家の門を初めて叩きました。
 それから5年後の6月2日、牧水が朔太郎を訪ね再会を果たします。朔太郎は大いに喜び、半日も語り続け、昼飯を御馳走したといいます。牧水は体調が悪かったので朔太郎の父密蔵が処方した薬を飲み、翌日榛名山へと旅立ちました。

 

 またあるときに、牧水が前橋を訪れたときのことを、朔太郎は、牧水の没後「創作」(昭和3年12月号)に寄せた追悼文「追憶」で次のように回想しています。

 

(前略)

 或る年の九月頃であつたが、僕が折あしく外出してゐるところへ、飄然と牧水氏が訪ねて来て、玄関へ取次ぎを乞はれたのである。僕の父が出て来てみると、見知らぬ薄汚ない風采をした、一見乞食坊主※1のやうに見える男が――と父は後に僕に話した――横柄にかまへて「朔太郎君は居ますか」と言つたので、てつきり何かの不良記者かゆすりの類と考へ、散歩中の不在を幸にして、すげなく追ひ帰してしまつたさうだ。後に父からそれを聞いて、僕は風采から想像し、或はその乞食坊主※2が牧水氏でないかと思つた。それで父に向ひ、その人の名を聞いたかと問うたところ、聞いたと言ふ返事だつた。

「若山とは言はなかつたでせうか?」

「さう……たしかさうだつた。」

 そこで僕は吃驚してしまつた。

(中略)

「何故止めておかなかつたのです。あの人が有名な若山牧水ですよ。」

「なに? あれが歌人の牧水か? あの有名な若山牧水だつたのか?」

と言つて父もにはかに吃驚し、急に大騒ぎを始めたけれど、もはや牧水氏の行方はわからなかつた。  

 

 朔太郎は、気の毒な事をしたと思いつつも牧水のそんな飾らない風貌に「ユーモラスの微笑を禁じ得なかつた」と懐かしんでいます。

 ともに酒好きであったふたり。また、朔太郎は牧水を「自然で、純朴で、愛すべき人物」「真に叙情詩を本質してゐる人」と称賛しています。交流こそ少なかったけれども、一たび会えば相通ずるものがあったのかもしれません。

 

※1、※2  当時の様子を窺い知る表現としてそのまま使用しています。

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休館日

水曜日・年末年始
(祝日の場合はその翌日)

観覧時間

午前9時-午後5時

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